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2023年4月16日

刈り入れの時まで、主を信頼する心を持ち続けること』

マルコの福音書 4:26~29


(起) マルコ4章26~29節の御言葉から、「刈り入れの時まで、主を信頼する心を持ち続けること」

を学んで行きたいと思います。

(承)さて、ここには「全能主の御国」についての譬え話が記されているのですが、分かるようでよく分から

ない箇所です。確かに、言われていることの意味は分かります。地に種を蒔くと、知らないうちに種から

芽が出て育って行きます。そのために人間は水をあげたり、草を刈ったりしますが、種がどうなっている

のか、どうして芽が出て実がなるのかは、全く分かりません。あんなに小さな種粒を地に蒔いて、そこから

芽が出て花が咲き、実が実るなんてことは、誰も想像できません。しかし、実際問題、夜寝て、目が覚めた

時には、種から芽が出て育っているのです。
それを見た時には嬉しくなります。まさに、「地はおのずから

実を結ばせる」のです。


(転)では、このことから、「全能主の御国」をどのように理解すれば良いのでしょうか。「種が地に

蒔かれれば、地はおのずから実を結ばせる」
ということを、クリスチャンの信仰に当てはめた場合、どの

ように考えて行けばいいのでしょうか。それは、信仰の種が蒔かれれば、「信仰は知らないうちに、皆

成長するというものではない」
ということです。現実に、成長する者もいれば、成長しない者もいます。

信仰は、その人が主に信頼する程度に応じて成長するものだからです。ある者は、信じたのに教会から

去って行く者もいます。それは、信じてから自分の思い通りにならないと、逃げたくなるからです。

しかし、それをやってしまったら終わりだということは、その人が一番よく分かっている(はず)です。

なぜなら、逃げれば解決するものではなく、かえって泥沼に()まり込んでしまうからです。それどころか、

全人類は皆、最後には白き御座の審判に連れて来られて、裁かれるのです。ですから、私たちは信仰のある

なしに関わらず、全能主から逃げ切ることはできません。どこへ逃げて行っても全能主がおられるから

です。
「私が、(あかつき)の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたはおられます」(詩篇139

:9~10)
人は皆、主から逃げ切る場所はないのです。それが分かれば、私たちは降参するだけです。

そして、本当に信頼すべきお方は全能主しかいないことを悟るのです。
人間は、自分も信頼できないし、

人も信頼できません。しかし、イエス様を通して、信頼できるお方がいらっしゃることを知りました。

「そのお方は、全能主です。」
ですから、ここで学ぶ真理は、全能主を信頼すれば、全能主が成し遂げて

下さる」
ということです。地に蒔いた種を掘り起こしては、どれだけ成長しているかを見ようとしても、

その種は死ぬだけです。しかし、蒔いた種は地に委ねて置くならば、成長するのです。即ち、「信じると

いうことは、心配しないで任せ切る」
ということです。そうすれば、不思議に全能主が成し遂げて下さい

ます。
私たちはサタンの働きを()(あた)にしました。その時、自分たちの力では、全く太刀打(たちう)

できませんでした。この経験から学んだことは、
「自分の力に頼っては、信仰を成長させることが出来ま

せん」
が、「全能主に信頼すれば、全能主が何事もなかったかのように解決して下さる」ということでした。

そして、聖書を見ると、「主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる」と書いてあったのです。この事実がある

以上、私たちにはもう「全能主に頼って行く」ことが最善の道であると悟るのです。それは、「自分で

何かする」ということではありません。主に信頼する心さえあれば、主が成し遂げて下さいます。それを

私たちは見たのです。

(結)私たちの教会は、これまでに、いろいろなことを経験し、いつ潰れるか分からないようなところも

何度も通ってきました。返済が滞って行き詰まった時もありました。そして、もう畳むしかないという

状況の中に置かれた時も、「主に信頼すれば、主が成し遂げて下さる」という御言葉の真実を味わって

きたのです。だから、ここまで来ることができました。故に、これからもそれしかありません。目に

見える保証はありませんが、「全能主の御国」というものは、おのずから実を結ばせるものです。

ですから、トコトン信じて、信頼していくことが、全能主の国に入る秘訣です。
であるならば、全ての

ことを主に信頼し、主にやって頂きましょう。私たちは信頼する心を持って、主が如何にやって下さる

のかを見たいのです。「聖徒達が継ぐべき『全能主の御国』が、如何に栄光に富んだものであるかを、

知ることができますように」(エペソ1:18)。
この信頼する気持ちを私たちが持つか、持たないか、

その境目をこれまで何度も通らされてきましたが、どこまでも主を信頼することは、命閉じる時まで

続くのです。ですから、患難時代では、皆バラバラにされるかもしれませんが、その時には「全能主の

国というものは、自分が実らせるのではない」
ということを覚えて下さい。全能主の国は、私たちが

ただ主を信頼すれば、主が成し遂げて下さるという世界です
どうか、この真理、このルールだけは、

忘れないようにしましょう。そして、刈り入れの時まで、主を信頼する心を持ち続けましょう。


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