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                                                                                                                              2022年2月6日


罪人の頭である、という原点に戻って

ルカの福音書23:40~43

(起) 私たちは、自分を信用できず、期待も出来ない罪人であることを十分認識させられ、その上で、

砕かれた悔いし心を持って、全能主に一心に仕えて行くこと」を学んで行きたいと思います。



(承)さて、イエス様がゴルゴタの丘で十字架につけられた時、二人の強盗犯も一緒に十字架に

つけられました。その内の一人の犯罪人が、「あなたはキリストではないか。それなら、自分を救って

みよ。そして、我々も救ってみよ」と言いました。罪人の論理としては筋が通っているかもしれませんが

これは非常に身勝手な論理で、こんな言葉でイエス様の心が動くはずがありません。ところが、

もう
一人の犯罪人は彼をたしなめて、「お前は同じ刑を受けていながら、全能主を恐れないのか。

たちは、自分のやった事の報いを受けているのだから、こうなったのは当然だ。しかし、この方は何も

悪いことをしていないではないか」と言いました。彼は、過去において直接的にイエス様に救いを

求めたことはなかったかも知れません。しかし、それでもイエス様がどういう御方であるのかを

知っていた為、無意識のうちにイエス様と自分自身を比較し、「この方は何も悪いことをしてい

ない。でも、自分たちは悪いことをしたのだから、こうなったのは当然だ」と言い切れたのです。

「こうなったのは当然だ」
と言えたのは、彼は、「自分は、自分のしたことの報いを受けるしかない

人間です」と認めた結果の言葉だということです。実は、これこそが罪人の原点であり、砕かれた

悔いし心なのです。



(転)実は、以前に、ペテロも同じ経験をしています。ペテロは22:33で、「私は牢であろうと、

死であろうと、あなたとご一緒に行く覚悟です」
と公言しました。ところが、その言葉に対して

イエス
様は、「今日、あなたは、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言います」と警告され

ました。
そして、まさしくその通りのことをペテロはやってしまったのです。彼は、心からイエス様に

従って行く
気持ちがありました。だから、このようにはっきりと言い切れたのでしょう。しかし、

それでも自分の
本心を自分でひっくり返してしまったのです。これが全ての人間の内に潜む魔物

の仕業なのです
これは、ペテロにとって凄いショックな出来事です。そして、その後ペテロは()

たたまれなくなり、
自分自身に対して嫌気を差して、外で激しく泣きました。多くの人は、失敗を

したり、過ちを犯しても、
激しく泣くまでには至りません。何故なら、自分自身の罪に対して正直

ではないからです。たとえ
自分に対して嫌気を差しても、自分の肉のプライドの中に留まるのです。

すると、自分の魔物の声から決別できず、しかも、自分の肉の愚かさを正直に見つめることも出来ず、

棚上げにして終わら
せてしまうのが一般的です。これでは、自分の罪にケジメを付けられません。

そして、新たな気持ちに
変えていくこともできずに終わってしまうのです。そして、他人の所為(せい)

して、「みんなやっている
からいいじゃないか」と誤魔化して、スルーしようとするのです。ところが、

ペテロはイエス様の言葉を思い出し、自分の前にある醜い心を真正面から見つめさせられ、打ちのめされ

ました。そして、「もう
自分はイエス様の前に、何も言えない。自分は恥知らずの卑怯者です」と

認めたのです。彼は、
「自分で自分を信用できない」という気持ちにさせられたのです。ここに至って、

もしペテロが立ち
上がれるとしたら、それは、自分は卑怯者であることを正直に認め、初めから全てを

見通しておられた、イエス様に頭を
下げた時です。そして、そのペテロために「イエス様が罪人の

ために十字架にかけられ、三日目に
甦られたことを知った時」初めてイエス様のために生きて行こうと

する心が湧いたのです。
このような事は私たちも、過去に何度も同じような経験をさせられて来たはず

です。偉そうなことを自分の口で言って
おいて失敗するとか、人を戒めながら自分が同じことをやって

しまったとか、そんな経験は数え切れ
ないほどあります
ただそれを自分自身が誤魔化して曖昧に

してきただけです。しかし、私たちは、もうこれ以上自分の罪を誤魔化し続けて行くことは出来ま

せん。自分の中には、恐ろしい裏切りの
魔物の心が潜んでいるのは事実です。だから、自分で自分を

信用することが出来ない罪人なのです
その事実を、一人の犯罪人やペテロと同じように、正直に認めた

時、「もう自分には全能主しかいない
全能主に信頼するしかない」という一点が、私たちの行き着く

ところです。
ですから、愚かな自分を認めた上で、「もう自分で自分を信用できない。自分の力では

何も出来ません。だから、こんな者
ですが、どうか力を下さい。残りの生涯、全能主に一心に仕えて

行きたいのです
」という心が、私たちの本心の叫びではないでしょうか。



(結)どうか、聖書に書いてある通り、「罪人の頭である」という原点に戻って下さい。そして、

私たちは、自分に期待なんて持てません。自分なんて信用できません。だからこそ、それを十分認めた

上で、「砕かれた悔いし心」を持って、全能主に一心に仕えて行こうではありませんか。
 

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