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2022年11月13日

全能主の思うところを、ことごとく実行する本気の献身

使徒の働き 13:16~22


(起)使徒行伝13章22節、「彼は、わたしの心に適った者で、わたしの思うところをことごとく

実行する」という御言葉から、私たちも全能主に信頼され、「全能主の思うところを、ことごとく

実行する
という本気の献身」を身につけて行きたいと思います。

(承)さて、22節を見ますと、全能主がダビデについて語られた言葉が記されております。「わたしは

エッサイ
の子ダビデを見つけた。彼はわたしの心に適った者で、わたしの思うところを、ことごとく

実行する」
とあります。これは、全能主にとって、全能主の言うことをよく聞き、全能主の気持ちに

なって、それをことごとく
実行してくれる者がいたということです。それは全能主にとって最高の

喜びです。
全能主はその心を持った者をずっと探しておられ、その中で、エッサイの末っ子で、

羊飼いをしていたダビデに目を留め
られたのです。私たちは、ダビデがその心を持っていたことは、

旧約聖書に記された、ある場面を通して
よく理解できます。ダビデは、サウル王に対して潔白であった

にも関わらず、サウル王から(うと)まれ、ずっと命を狙われて、追いかけられていました。ところが、

ある時サウル王が、無警戒で洞穴の中で用を足して
いた時、ダビデがサウル王に手を掛けるチャンス

が来ました。しかし、ダビデは『ヤハウェから油そそ
がれた方に手を掛けることは出来ない』(第Ⅰ

サムエル24:6)と言って、チャンスをあえて見逃し、サウ
ル王の上着の(すそ)だけを切り取ったの

です。この場面を通して分かることは、ダビデは「自分の命を守ること
よりも、全能主の考えを第一に

する」という心を持っていた人であるということです。それは、自分の思う
ところではなく、どこ

までも全能主の思いを大事にしようとしていた、ダビデの心があったからです
。全能主は、そのダビ

デの心を見られ、彼を選んで良かったと喜ばれたのです。


(転)しかしながら、ダビデのように、全能主の心を汲んでその通りやって行こうとする者が、どれだけ

いる
でしょうか。世界中の人間は、全能主によって創造され、命を与えられて暮らしています。

しかし、その中で全能主のために命を使い、全能主の思うところをことごとく実行しようとしている

人は、多くはありま
せん。はっきり言って、皆自分の命は自分のものだと思っていますので、自分の心や

自分の体は、「自分の
思い通りに使いたい」というのが、当たり前になっています。こうした、自分

の思うところをことごとく実行
しようとする生き方が、クリスチャンにもあるのです。しかし、ここで

よくよく悟って欲しいことは、「自分の心は
自分の思い通りにはならない」ということです。例えば、

信じた時のことを思い返してみてください。私たちが
、イエス様の救いを信じようと思った時、自分の

思い通りに信じることが出来たでしょうか?私たちは、幾ら信じるべきだと分かっても、心が付いて

いかず、なかなか信じられなかった(はず)です。そんな私たちが信じられたのは、主が私たちの心を

開き、動かし、救いを受けとめることができるようにして下さったからです。
それは、使徒行伝に出て

くるルデヤに対して、
「主が彼女の心を開いて」とあるように、主が私たちの心を開いて下さったからこそ、

心の迷いもなく「信じる」と決断する事が出来たのです。
そして、不思議なことに
私たちの心の中には、

「最初に信じた心が今の今までずーっと消えずに、心の中にある」のです。それは
自分で自分の心の中に

入れたのではなかったからです。正に、主に与えて(もら)った信仰心だったからですそれ故に、私たちの

心を開いて下さり、信じる思いを入れて下さった方は、私たちにとって特別な方です
なぜなら、その

方は、私たち自身ができなかったことをして下さった方だからです。ですから、今度は
私たちの方

から、「全能主に従いたい」という献身の思いを持ったらどうでしょうか。しかし、これも信じた時

と同じように、思い通りにはなりません。その心は、主によって私たちの心に入れてもらうのです。


その
ために、「献身の心」を私たちの心の中に、しっかりと入れ込んで下さる方に、お願いしたらどうで

しょうか。使徒行伝16章では、「ルデヤの心を、主が開かれたので、信じる心が彼女の心の中に

入った」のです
から。それなら、私たちも同じように「全能主の思うところを実行したい」という心を、

自分自身の心の中に入れて頂くために、主に祈ったらどうでしょうか。私たちは信じた者として祈る

ことができるのですから、
「私の心の中に、『全能主の思うところを実行したい』という心を入れて

下さい」
とお願いしましょう。これは主が入れて下さるものです。自分の熱心が、そうさせるのでは

ありません。

(結)
こういうわけで、自分で自分の心を変えたいと思っても、それは、いくら努力してもダメ

ですし、頭で考えてもダメです。それは簡単にできることではありません。ですから、全能主に祈り

「私の心を、
自分勝手な思いから離れさせ、主の思いを受け留めて実行したいという思いに変えて

下さい。その心を
下さい」とお願いして下さい。そして、「全能主の思うところを、ことごとく実行

する本物の献身」
を身に
つけて下さい。全能主は、私たちがその祈り心を持つことを待っておられる

のです。



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