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                                                                                                                               2021年11月21日


心の芯棒をしっかりと身につける

使徒の働き20:17~38


(起)使徒行伝20章32節の御言葉から、「自分の考えに頼ることを止め、全能主を中心にした心の

芯棒をしっかり身に付け
、信じて従って行く事」を学んで行きたいと思います。


(承)さて、パウロは、アジヤでの宣教を終え、「ローマに行かなければならない」という使命を

受けて、
ミレトからエペソに使いを送り、教会の長老たちを呼び寄せ、ローマに行く前の最後のメッセージ

を彼らに与えました。この箇所の内容は、現在の私たちの教会に集まっている一人一人へのメッセージ

であり、このエペソ教会の長老たちは、私たちに当てはまるのではないかと思います。長老と
いう

と、年を取った者たちのことを言うのですが、それだけではなく、考え方において、また信仰において

しっかりとした霊的な判断が出来る人たちのことを長老と言うのです。だから、私たちは、これから

集め
られてくる多くの信者たちから見れば、まさに選ばれた長老たちです。ですから、私たちは曖昧な

信仰ではなく、明確な信仰を今、はっきりと持っていなければなりません。
 


(転)
では、明確な信仰を持つために必要なこととは何でしょうか。それは、「全能主を第一にする」

という
信仰を、自分自身の芯棒とすることです。「どんなスポーツにおいても、自分自身の体の芯を

しっかりと
意識しなければ、安定したプレーをすることが出来ません。体の芯さえしっかりしていれ

ば、どんなに
揺すぶられても、余分な力は抜け、その芯を中心にした動きでフォームが安定してき

ます。」このことは、
私たちの信仰にも当てはまります。「私たちは、『全能主』という揺るがない芯

を持ち、その芯を中心にして
心を動かすのです。そうすれば、自分の考えや自分の感情によって信仰

がふらつくことはなく、余分な
力は抜け、全能主を中心にして、いつも同じ判断が出来るようになって

行きます。」この「全能主を中心にする」ということは、言葉を替えると、「全能主が語られた言葉を

中心にする」ということです。即ち、パウロが32節で語った通りです。「今、私は全能主と全能主の

恵みの御言に、あなた方を委ねます」
とありますが
、当時の人たちにとっては、旧約聖書が全能主の

御言です。ペテロもパウロも「旧約聖書の御言を土台としてイエス・キリストを語り、律法に捕わ

れない世界がこの救いの中にある」
、ということを語ったのです。
しかし、今、私たちにとっての

「全能主の恵みの御言」は、旧約聖書よりも、もっとはっきりとした新約
聖書の御言です。(新約

聖書は、直接的にイエス様が語られた御言であり、パウロ達を通してキリストを
信じた者たちに

語られた全能主の御言です。)
私たちは、その御言をよく読み、聞き、学んで来ました。だから、

もう自分勝手な考えを拠り所にするのではなく、「主に信頼せよ。主が成し遂げて下さる」という、

全能主を中心とした心の芯棒に切り替えて判断して行くべきです。そして、21章13節で、「死ぬこと

さえも
覚悟している」とパウロが語ったように、そこまでの明確な覚悟が私たちにも必要です。

そうすれば、悪魔も黙って去って行きます。悪魔は、あの手この手を使って私たちにちょっかいを

かけ、私たちを
肉的な考えの虜にし、信仰の心を()()って来ます。それは、私たちが全能主を

中心にする芯棒をはっきりと持っていないからです。
しかし、私たちが、一点、「ここだけは見失わ

ない」という芯を持って
いれば、余分な力は抜け、「全能主を第一にする」という意識をはっきり

と持ち、「どうして私の心を挫くのですか」と言うことが出来ます。すると、悪魔も黙って手を

引くしかなくなるでしょう。私たちはこれから
患難時代に入って行きますが、この心の芯棒をしっかり

と持ち、「死ぬことさえも覚悟しています」と成れば
、「いつ、どのように死んでもいい」と思え

ます。目の前に起こってくる出来事に一喜一憂することもありません。芯棒さえしっかりしていれ

ば、あらゆるものに私たちは耐えられるのです。私たちはその生き方を目指しましょう。それが、

「全能主と全能主の御言にあなた方を委ねます」
と語ったパウロのメッセージの真意です。



(結)最初にお話しした通り、私たちは、これから集められてくる多くの信者たちから見れば、

(れっき)とした長老たちです。長老は立つべきところにしっかりと立ち、若い人たちに御言を教えて行か

なければなりません。だから、今のうちに自分の感情を砕き、全能主というお方を、私たちの背骨の太い

電柱とし、骨太の
信仰の芯棒を持って、御言に自分自身の心を寄せて行くべきです。私たちが心を

寄せる所は、最終的
には御言しかありません。「聖書のここに、こう書いてあるから、こうする」と、

どこまでも全能主を中心にして
判断して行くのです。どうか、自分の感情に頼ることを止め、全能主を

中心にした心の芯棒をもって、信じて
従って行きましょう。この基本のフォームを身に付け、残された

人生の働きを全うさせて頂こうではあり
ませんか。

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