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2021年1月31日

相手の言わんとする事を聞く』

ルカの福音書19:1~10


(起)ルカの福音書19章1~10節のザアカイの記事から、「私は誓って自分の財産の半分を

貧しい人に施します。また、もし誰かから不正な取立てをしていたら、それを四倍にして返しま

す」と、普段ザアカイが考えてもいなかった決断をしたのは、いったい、どんな心の変化があった

からでしょうか、考えて行きたいと思います。



(承) さて、私たちクリスチャンであっても、自分の思い通りにならないと全能主に逆らい、

全能主に弓を引く恐ろしい魔物の心を持っていることは、否定できません。なぜなら、あの使徒

ペテロでさえ、簡単に主を否定し、裏切ってしまったように、全ての人の心の中には、全能主に

さえ逆らう魔物の心が()()っているからです。ですから、ザアカイのように改心する為には、

勇気を持って自分の内に巣食っている魔物を封印する必要があります。そうしないと、あれ程大胆

「自分の財産の半分を貧しい人に施します。また、不正な取立てをしたものは、四倍にして返し

ます」とは、言えないでしょう。
ということは、彼はそれまで実際に不正な取り立てをし、魔物の

声に聞き従って金持ちになっていた訳です。しかし、その生き方の中には、彼自身の本当の喜びは

ありませんでした。そんな時、イエス様がザアカイの所に来て声をかけられました。それで、

ザアカイは喜んでイエス様を迎え入れ、「自分の心を入れ替えて、魔物の声を封印し、大胆にも

イエス様に「財産の半分を貧しい人に施します」と宣言してしまったのです。この時、ザアカイは

どんな気持ちだったのでしょうか?
彼は初めて自分の中にいた魔物に逆らい、正気に戻って思いを

ガラッと()えたのです。
ここに彼の勇気ある決断がありました。



(転)では、私たちはどうでしょうか。私たちもザアカイのように、幾ら人に嫌われても、自分

の思うようにしたいと思うと、自分では悪いと分かっていても魔物の声に聞き従ってしまいます。

しかし、クリスチャンとしてそれをしたら、大変な損失を被ることになります。なぜなら、

悪魔はそこから入ってくるからです。
もし、一時の感情に捕らわれ、 感情に任せて魔物の声に

従えば、全能主を裏切り、弓を引くことになります。すると、クリスチャンは永遠の命を失うこと

になります。
ですから、決してそんなことがあってはいけません。だから、私たちも「自分の中

にいる魔物を封印する決断が必要だ
」ということです。なぜなら、魔物を封印しなければ、全能主

の御心に従うことは出来ません。いずれは自分の思い通りならなくなると、私たちは自分自身の

中に魔物を抱えている以上、いつか魔物の心が出てきて、全能主にさえ反抗心を(あら)わにしてし

まう可能性があるのです。皆さんは、その可能性はありませんか? 
そんな怖いものを心の中に

持っているのが罪人の現実です。
しかも、その怖さは死ぬまでなくなりません。だからこそ、

私たちは魔物の声を封印する必要があります。少なくとも、クリスチャンは封印し続けなければ

なりません。
魔物を封印すると、ザアカイのように考え方がガラッと()わります。それは、

魔物を封印して、「初めてイエス様の言わんとすることを聞こう」という気持ちになるからです。


そして、自分中心の考えを入れ替えることができるのです。先週学んだように、考えを入れ替える

ためには、「自分の考えで決めたい。自分の考えで結果を出したい」という自意識をストップさ

せなければなりません。人間は、大人になって自立すると自分の自意識が強くなります。しかし、

それは罪人の考えを出しているに過ぎません。だから、罪人の結果しか出て来ません。それは、

自分の心の中にいる魔物が活発に(ささや)くからです。だから、私たちクリスチャンは、
「自分の肉

の考えは、罪の影響から出た自分勝手な魔物の根性」だと悟るべきです。そして、魔物を封印して

自分の考えをストップさせ、「聖書が言わんとすることを聞く」という意識に換えるのです。


すると、聖書の言わんとすることが、初めて分かり出します。だから、全部聞く前に途中で疑問

を持ったり考え込んだりすると、その後ずっと変な方向に頭が働いて、結局聖書が何を言わんと

しているのかが、分からず仕舞いに終わってしまいます。先程も申し上げましたが、私たちの頭は

罪人の頭であり、今まで培ってきた頭の能力は罪の支配の中にあります。そんな頭で理解しよう

としても無駄です。だから、私たちは「聖書が言わんとすることを聞く。全能主が言わんとする

ことを聞く。牧師が言わんとすることを聞く」。これを具体的に実践して行くべきです。「これ

を誰がやるか」といったら、自分がやるのです。私たち一人一人は、自分に対して生きているの

ではなく、全能主に対して生きています。だから、自分が意識して全能主の考えを聞いていくの

です。この意識を持たずして、全能主の御心に適った生き方をすることはできません。



(結) そこで、最後に一言、「たとえ私たちは魔物を封印したとしても、またふつふつと魔物

の声は出て来ます。それは、命を閉じるまで罪人ですから、魔物の声はなくなりません。

しかし、それを封印すると決めたなら、その声が出て来ても、心の中で魔物を退けるでしょう。

そして、魔物の声を否定して考えを入れ替えるでしょう。
この実践は、自分の考えを止めて、

魔物の声を退け、相手が言わんとする事を聞こうとする心から始まります。
まずは自分の中の

魔物を封印し、自分で一生懸命考えなければいけないと思っていたその考えを改め、遜って人の

話を聞くことを始め出そうではありませんか。それによって自分はどのような気持ちになるのか、

どのように人の話を聞くことができるようになったのか、それを味わって行きましょう。

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