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2020年9月13日
クリスチャンのパラダイム転換

マタイの福音書8:23~27


(起)マタイ8章26節の御言葉から、「私たちの物の見方、考え方をガラッと変えて、トコトン

全能主を信じる生き方に徹して行くこと」を学んで行きたいと思います。


(承) さて、イエス様と弟子たちが舟に乗っていると、突然、湖上に激しい暴風が起こって、

舟は波に呑まれそうになりました。そこで、弟子たちが「主よ。お助け下さい。私たちは死に

そうです」と叫ぶと、イエス様は、「なぜ怖がるのか。信じる心の薄い者たちよ」と言われたの

です。しかし、当時の船は、現代あるようなしっかりとした鉄の船ではありませんから、ちょっと

した荒波でも小舟は水を(かぶ)って(てん)(ぷく)したり、沈んだりして海難事故に遭ってしまうことは

よくあることでした。特に、弟子たちは漁師でしたから、海の危険性をよく知っていた筈です。

だから、この時の弟子たちの反応というのは、ごく自然な人間の反応であり、自分たちの身の危険

を感じた時に、救い主イエス様に「助けて下さい」と叫んだのは、ごく自然な訴えであったと思い

ます。しかし、それに対してイエス様は、「なぜ怖がるのか」と言って、()()けられまし

た。
私たちはこれを読みつつ、自分たちも自然に出てくる「無理のない叫びだよな」。「何故助け

てください」と言ってはいけないのか? という疑問が出てきます。この叫びに「信仰の薄い人

だな」と指摘されたら、「じゃあどうすればいいのか」と、不信感を持ってしまいます。もし自分

がこの場にいたら、「恐れずにイエス様と一緒に寝ていられるか。そんなわけにもいかないだ

ろう」と、自問自答してしまうのです。しかし、いくら自分の感情の世界であれこれ考えても、

答えは出て来ませんし、最終的には不信仰になってしまうだけです。だから、自分の感情を土台

にして聖書を読むその読み方は、間違っているのです。


(転)では、どのように聖書を読んで行けば良いのでしょうか。それは、常にイエス様の側に

立って読むことです。今回お読みした記事の場合、イエス様が「怖がるな」と言われたのは、

イエス様は湖も風も従わせることが出来る方だからです。イエス様の側に立てば、「わたしには

それが出来るのだから、怖がるな。わたしに信頼せよ」と思う気持ちが分かります。このように、

イエス様の気持ちになって聖書を読んで行けば、「それで()いのだな」と安心し、疑問を抱い

たり「本当にそんなことが出来るのか?」と考える必要はありません。私たちが、この地上の法則

という制限の中で生きていたのは、以前のことです。今は、それだけではなく、
この地上の法則を

はるかに超えた全能主の支配の中で生かされている者です。
しかし、教会から一歩外に出ると、

そのことをコロッと忘れて、この地上的な物の見方、考え方に支配されてしまうのです。この世

の中は律法主義で、どこまでも自分の力で解決し、自分の力で義を表さなければなりません。

世の中のほとんどの人はイエス様を知らないため、その生き方しか知らないからです。しかし、

私たちは違います。私たちは、
全能主が造られた世界、イエス様がおられる世界を知っています。

ならば、この地上の法則だけに捕われる必要はありません。むしろ、
この地上の法則を越えた奇跡

が起こることを、当然のように信じて行くべき
です。私たちは全能主を知り、イエス様を信じた

のですから、聖書をトコトン信じて行くべきです。すなわち、「聖書に書いてあることは今日も

起こる」と信じ、その意識を当たり前のように持って行くべきです。この地上の法則でしか物事

は動かないと考えるべきではありません。


(結)このように、全能主の側、イエス様の側に立って聖書を読み、物事を見て行くと私たちは

平安を得、不信仰から解消されます。イエス様は弟子たちにそれを願ったのです。湖上で暴風が

起こり、波に呑まれそうな状況を、人間の側から見たなら怖いと思うのは当然ですが、それは

以前の世界であり、今は
「イエス様がいるから大丈夫」と、信じるべきです。ですから、この地上

で起こる色々なことも、イエス様の側から見たなら怖がる必要はないのが分かってきます。

物の見方を変えるとはこういうことです。どうか、私たちの物の見方、発想を、常に聖書に基づ

いた物の見方、発想に変えて行きましょう。それは、「聖書は正しい。全能主は正しい。イエス様

は正しい」という物の見方をして行くことです。これが、クリスチャンのパラダイム転換です

即ち天動説から、地動説に変えていく発想の転換です。これが、私たちの信仰であり、常に物事を

全能主の側から見るという感覚に変えて行くことです。聖書を読むときも、常に全能主とイエス様

の考えを汲み取るように読んで行くべきです。そのようにして、私たちの物の見方、考え方を

ガラッと変えて、トコトン全能主を信じる生き方に徹して行こうではありませんか。

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