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2020年1月1日


新しい見方・考え方を、新しい革袋に入れて

ルカの福音書5:36~39


(起)ルカ5章38節の「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるべきです」という御言葉から、

「今までの古い見方、考え方を捨て去り、全能主の前における新しい見方、考え方」を新しい

皮袋に入れて、新たな心で新年を始め出して行きたいと思います。


(承) さて、元旦というのは、過ぎ去った一年を全てリセットすることのできる特別な日です。

そこで、昨年はどんな年だったのか振り返ってみて、新たな心で一年を歩み出したいと思います。

昨年は、これまでになく、必死に祝福を求めた一年でした。しかし、その中で学んだことは、

「いくら願っても、祈っても、説得しても、全能主が『良し』 と言われなければ祈りは答えられ

ない」ということです。今まで、私たちの内には、「こちらが熱意を持って動けば、全能主も

何とかして下さるだろう」という「ギブ&テイク」的な感覚が少なからずありました。しかし、

全能主の前にその甘えは一切通用しません。どこまでいっても、私たちは与える側ではなく、頂く

側です。頂く側である以上、私たちがいくら熱心に求め、理屈に基づいて全能主を説得したとして

も、最終的に与えるか、与えないかは全能主がお決めになることであり、その主権は全能主が

持っておられます。ですから、最終的に全能主が、どのような判断をされても、私たちに文句を

言う資格はありません。だから、私たちが今まで考えていた古い考え方、即ち「自分が一生懸命

努力をすれば、全能主に願いを聞いて(もら)える」という、考え方から
「どこまでも全能主に熱意

を持って待つ」
という、新しい考え方に改める必要があります。


(転) このことは、「私たちの罪に対する赦し」についても言えることです。罪の赦しは、

どこまでも全能主の側の判断です。ですから、私たちが罪を犯した時、反省して「もうしません」

と決意表明をしたからと言って、その決意表明があるから、赦して貰えるというものではありま

せん。一般的には、私たちが反省すれば、自分が犯した罪の報いから逃れさせて(もら)えると期待

します。しかし、反省したからといって罪が消える訳ではありませんので、罪を犯した私たちが、

赦しを求める資格などありません。「赦すか」、「赦さないか」をお決めになるのは全能主です。

だから、「赦してほしい」という色気を持ちながら謝っても、それは全能主の前に本当の悔い改め

にはなりません。全能主が求めておられる「悔いし心」とは、放蕩息子が、お金を使い果たして

帰って来た時に、「私は罪を犯しました。もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません」と

言った心です。彼は、自分自身が罪を犯したという事実を認め、「自分には、何かを願い求める

資格は一切ありません。息子と呼ばれる資格もありません。雇人と同じようにして下さい」という

気持ちを抱きました。でも、父の前に出たとき「雇人と同じようにして下さい」と言う言葉さえ

出て来ませんでした。彼の処遇については、父が決めることだからです。だから、放蕩息子は、

自分の罪を認めてただ謝っただけです。

 同じように、罪人の私たちも、全能主に頭を下げることはできても、赦しを求める資格はあり

ません。ただ、
「罪を犯した」という事実だけを認め、全能主の前に頭を下げるだけです。あとは

全能主がお決めになることです。しかしそこで、もし全能主が「良し」と言って下さったならば、

私たちは、「これからは遜ってお仕えさせて頂きます」という下手に出た心を持って、全能主に

対して「砕かれた心」を表して行くのです。この生き方を始め出して行くことが、新しいぶどう酒

を新しい皮袋に入れるということです。


(結) 私たちは、これまで自分に如何(いか)にも権利があるかのように自己主張し、自分の願いを

全能主にねじ込むようなことをして来ました。この考えはもう止めましょう。また、
今まで当たり

前のように祈れば答えて貰える
という考えから離れて、「自分の願いを聞いてほしい」、「自分の

思い通りに事を行ってほしい」という古い考え方は捨てましょう。「いくら願っても、祈っても、

説得しても」、全能主が「良し」と言われなければ始まりません。また、罪の赦しに関しても、

私たちがいくら「赦してほしい」と願い、また「もうしません」と反省したとしても、全能主には

通用しません。赦しを与えるか与えないか、満たしを与えるか与えないかは、全て全能主の主権の

領域だからです。だから、私たちは
全能主の前にどこまでも遜り、自分自身の罪は一生背負って

行くものと定め、今までの「ギブ&テイク」の古い考え方や見方を捨て去り、この新しい見方、

考え方を「新しい皮袋」に入れて、新たな心で新年を歩み出そうではありませんか。
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