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2019年 NO.673


絶対主の天地創造の目的           
        「聖なる都、新しいエルサレム」

- part2 -


  現在の天地創造は、創世記第1章から始まり、黙示録22章の「聖なる都エルサレム」

をパラダイスに創り上げて、永遠に存続させた後に終わります。ですから、「聖なる都

エルサレム」が天から下って新しい天と地に完成された時、この天地創造の目的は終えて、

巻物が巻かれるようにして消えてなくなり(黙6:14)、新たに「新しい天と新しい地」

が創造され、第三の天にあったパラダイスから「聖なる都、新しいエルサレム」が絶対主の

御許から出て「新しい天と地」に下り、絶対主の天の御国が始まります。


   この「新しいエルサレム」は、新しい天と地の聖なる都になります。これが絶対主の創造

の目的であった「絶対主の御国」です。すなわち、この天の御国の中に「小羊の妻なる

花嫁」が、「聖なるエルサレム」として永遠に存続して行くのです。この天の御国の「小羊

の花嫁」は、黙示録の7つの教会に宛てた手紙の目的であって、「勝利を得る者」たちのこと

であり、黙示録21章7節の「勝利を得る者は、これらのものを相続する」と宣言された

人々のことです。「わたしは彼の絶対主となり、彼はわたしの子となる。」と言われた

人々です。


   まさに、「新しいエルサレム」を相続することが、黙示録の書かれた目的であり、「絶対

主の御国」を創り上げて行くことが、天地と万物(御使い・人間・四つの生き者たち)の

創造の目的であったのです。
この絶対主の御国には、「聖なる都」の外に住むことが許さ

れた、救われた諸国の民もおり、彼らは小羊の婚姻の時に小羊の婚宴に招かれた人々

(黙19:9)です。この救われた諸国の民も、いのちの木にあずかる特権を受け、門を

通って都の中に入って行くことが許されています。しかし、「聖なる都」の中に幕屋が

設けられ、その幕屋の中に小羊の花嫁として住むことが、本来人間が創造された絶対主の

計画です。


[まさに、絶対主が人と共に住み、人は絶対主の民となり、絶対主自ら人と共にいて、

人の目から涙を全く拭い取って下さる。もはや呪われるものは何一つない。絶対主と小羊

の御座は「都の中」にあり、絶対主のしもべたちは絶対主を礼拝し、絶対主の御顔を仰ぎ

見る。彼らの額には、絶対主の名が記されている。彼らは、永遠から永遠まで支配する

のです。]

  これが天の御国にある絶対主の都、「新しいエルサレム」です。


 この幸いこそが黙示録を読む者たちの目標であり、私たちは、この幸いに預かるチャンス

を明確に解き明かされた教会です。それなら、この聖なる都の一員として組み込まれ、

聖なる都を構成する一つのパーツとして創造された特権を生かして、絶対主を第一として

歩み出す
のが、今の私たちの信仰の心となるべきでしょう。聖なる都は私たちのために

あるのではなく、私たちが聖なる都のためにあるのです。
この順序を逆転させてはいけ

ません。救われた者が主人公ではなく、聖なる都を創り上げる絶対主こそが、全ての創造

の主人公です。ならば、この方に仕えることが私たちの生きる目的です。これは、

「霊的な滅私奉公」の心です。ですから、自分の為の救いではなく、絶対主のために計画

された人を、天に迎え入れるにふさわしくするための計画であったのです。ならば、永遠

に滅私奉公の心をもって、絶対主を第一にして生きて行くと、心を定めようではありま

せんか。人間の創造は、その聖なる都に組み込まれるパーツであったことをへり下って

受け留めましょう。
そして、罪人であった人間が、「悔いし砕かれた魂」をもって御国で

仕えて行けるように、今のこの時に身に付けて行きましょう。




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