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2019年 NO.674

創られたものは、創った方の意図に反すれば壊される



  人の命は、間違いなく自分で作った命ではありません。人間の命の仕組みや、生きて行く

能力、考える力、これらは自分で作ったものではありませんが、生まれた時から備わって

います。

  しかし、これらは親が作ったものでもありません。ということは、人間でないお方から、

その能力を頂いたのです。この「人間でないお方」とは、単なる物ではありません。

なぜなら、人間の命は、隅から隅までよく考えられた叡智の仕組みを持っており、隅から隅

まで計画された機能で出来ています。しかも、その機能の一つ一つは他の機能と連係されて

います。どれ一つ取っても、その器官の一つだけでは機能しません。全ては相互に関連し

合って全体を構成しているのです。例えば、目の機能だけが進歩して能力を得たとしても、

脳が受けた電気信号を情報に変換して、初めて「見た」となります。その時、色の色彩調整

もきちんと調整されていなければ、見た景色を理解できず、ピントも脳に信号が送られて

調整機能が働き、全体が連動して初めて物が「見えた」と理解されます。(カメラの機能も

同じです。レンズだけが高性能でも、カメラのコンピューターの調整機能が追い付かなけれ

ば、レンズの機能は発揮されません。)ということは、人間の命の仕組みは、部分的に進化

しても、他との関連がうまくいかなければ、命の機能として発揮されていきません。

すなわち、動物の場合は奇形が起こり、物の場合は欠陥品となってしまいます。 ですから、

全ての命と全ての自然界は、全部叡智をもって設計され、仕組まれなければ、成り立ちま

せん。この叡智ある方こそ、全てのものの創造主であり、絶対主と呼ばれる方なのです。

だから、私たちの命は、この絶対主によって創られて、存在させられなければ、あり得な

かったことです。そこで、人間は、自分の命を創られたお方のことを考えずに、地上でいくら

価値あることを行ったとしても、それは自分勝手な満足のためにやり終えただけで終わって

しまいます。全ては、自然界の全てをお創りになった方が「何を考え、何を求めておられる

か」ということを無視しては、私たちの存在価値はないのです。例えば、人工知能(AI)を

持ったロボットが、人間によって作られた意図を考えず、作った人間の意図を無視して勝手に

動き始め、人間の考えなかった 方向にどんどん向かって行ってしまうなら、その作品の意味

がなくなります。AIロボットは自分で学習して、もし人間を敵と考え、人間を殺害する方向

に向かったら恐ろしいことです。同じように、人間は自分で学習し、自分で考え、自分の意思

で生きて行くように仕組まれています。
その時の正しい考え、正しい意思の用い方は、人間の

命を作られた方の心を理解し、その方の意思に従った判断をすることです。
しかし、創られた

方の意図に反すれば、最後に破壊され滅ぼされます。このことはクリスチャンも同じです。

絶対主によって救われたにも拘わらず、未だに自分勝手な生き方をし、命の主である絶対主の

意図を汲み取る生き方をしなければ、未信者と同じように滅ぼされてしまいます。
それが

患難時代の後に、創造以来の全人類の罪の清算される時に、命を創られた創造主の意図を

無視した者は、全て滅ぼされ、生きている時に、命の創造者の心を汲んで歩んだ者は、約束さ

れた永遠の御国に入れられ、人の目から涙をことごとく拭い取られて、絶対主の子とされ、

御国の相続に預かります。これが絶対主の創造した万物の目的です。しかし、創造の意図に

反した者は破壊され、永遠のゲヘナの火の中に投げ込まれるのです。あなたは、どちらを選択

するのでしょうか?自分の意思決定は自分に任されたものです。


     
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