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2019年1月6日
絶対主が言われるならそれで良し』
― 百人隊長の信仰より 


ルカの福音書7:1~10


(起)ルカ7章1~10節から、百人隊長の信仰を学び、「絶対主が言われるなら、それでいい」

という信仰の生き方を学びたいと思います。


(承) さて、ユダヤ教に改宗したローマの百人隊長が、病気で苦しんでいる一人のしもべを

イエス様に癒して頂きたいと願い、ユダヤ人の長老たちに言づてを頼みました。すると、イエス様は

その願いを聞き入れられ、百人隊長の家に向かわれました。ところが、イエス様が百人隊長の家に

近づかれたとき、百人隊長は自分の友人を送って、「私の屋根の下にあなたをお入れする資格は、

私にはございません。・・・ですから、ただお言葉を頂かせて下さい。そうすれば、私のしもべは必ず

癒されます。」なぜなら、「私も権威の下に服している者ですが、私の下にも兵士がいまして、

一人の者に『行け』と言えば行き、『来い』と言えば来ます。また、『これをせよ』と言えば、

してくれるのです」と言いました。確かに、軍隊というものは、そういうもので上に立つ司令官は、

言葉だけで兵士たちを動かします。だから、上に立つ者の言葉はすごく重いのです。

この百人隊長は、普段からそのように教えられており、
「上からの命令が下れば、たとえそれが

自分の命を懸けることであっても、そのように致します。また自分が部下に命じれば、それをして

くれるのです」
という事を、当たり前のように経験していました。ですから、彼はその心をイエス様

に対しても表したのです。すなわち、イエス様のことを、絶対主の御子としての権威をお持ちの方

として認めていたのです。ですから、「絶対主の権威の下におられる方からの言葉であるならば、

それは必ずそのとおりになりますから、お言葉だけ頂かせて下さい」と伝えたのです。この百人隊長

の姿勢を見て、イエス様は非常に喜ばれ、「これ程の信じる心を持って信頼する者を、イスラエル

の中でも見たことがない」と言われ、その後に、彼のしもべは癒されていました。彼はこの経験を

通して、「イエス様に対しては、このような心を表して行けばいいのだ」ということを学んだのです。

ならば、彼は次の時もそのようにしたことでしょう。この経験を何度もして味わえば、当然イエス様

への信頼は増し、彼の信仰はますます成長して行ったことでしょう。


(転) このことは、私たちにも言えることです。「聖書に書いてあるから、それでいいのだ」

ということを味わって行けば、私たちの信仰はどんどん成長して行きます。しかしながら、

なかなか私たちの信仰が成長して行かないのは、どうしてでしょうか。それは、絶対主に全面的に

頼らず、「自分の知恵、自分の発想で行って行こう」と、思い違いをしているからです。その考えを

持っていたら、私たちの信仰は成長しません。なぜなら、「自分の考え、自分の発想で行い」

その結果を認めてもらおうとすることは、自分の栄光を表そうとしている姿だからです。それは実

に被造物である人間の傲慢な姿であり、絶対主の考えとは真逆の方向に向かっていることです。

そんな者が、絶対主に受け入れられる訳がありませんし、また信仰が成長する(はず)もありません。

たとえ、この地上にあって歴史に残るような働きをしたとしても、それが絶対主に繋がったもの

でなければ、何の意味もありません。絶対主に喜ばれ、満足してもらって、初めて価値がある働き

なのです。だから、私たちは「聖書に書いてあるから、それでいい」という、「お言葉だけ頂かして

下さい」と言った百人隊長の信仰に立つべきです。それは、絶対主が「こうしなさい」と言われた

ことを、ただ素直に受け留め、忍耐してそこに留まり、その絶対主の言葉通りしていく行いを表して

いくことです。すなわち、「絶対主が言われるなら、それでいい」、「絶対主の考え通りにやれば、

必ず何とかなる」という信仰心を持つことです。そして、常に絶対主に対して下手に出て仕えて

行こうとするしもべの心は、絶対主に喜ばれ「それでいい」と言って頂けるからです。
絶対主から

「それでいい」と言って頂けたなら、私たちにとっては確信と成り、信仰の自信もついてきます。


自信がついてきたら、「次も同じようにして、絶対主に喜んで頂きたい」という方向に向かって

行く(はず)です。そのようにして、私たちの信仰は成長して行くのです。


(結) こういうわけですから、私たちは、
自分の考え、自分の発想から離れて、「絶対主を重ん

じる心の立ち位置に自分の心を変えていく」
のです。もう子供の頃から(つちか)って来たものの見方、

考え方、また親から教わった古き考えの立ち位置から離れご破算にして、絶対主の考えを重んじる

心に変えて行きましょう。これが、私たちの新年の新しい信仰のスタートです。

どうか、新年にあたり、昨年までの古い生き方から離れて、新しい生き方を 始め出して行きま

しょう。この新しい生き方は、
「新しいブドウ酒は、新しい革袋に入れる」という信仰の実践です。

絶対主がそう言われるなら、それでいいという単純な信仰に立って、新年を始め出して行きましょう。




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