ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2018年 NO.641


ヨハネ8章の姦淫の女


  律法学者・パリサイ人は、姦淫の現場で捕らえた女を連れて来て、イエス様に言いました。

「先生。モーセは、 『こういう女を石で打ち殺せ』と律法の中で命じていますが、あなたは

どう思われますか。」イエス様は彼らが問い続けて止めないので、「あなた方の中で罪の

ない者が、まず最初にこの女に石を投げつけなさい」と言われました。すると、少し時間を

置いて、これを聞いた人々は良心に責められながら一人づつ出て行き、ついに女だけが残され

ました。そしてイエス様は女に向かって「わたしも、あなたを罪に定めません。行きなさい。

今からは、 もう罪を犯してはなりません」と言われ、その女を赦されたのです。


  この時代には、まだイエス様の贖いは実現してはいませんので、律法の下にある人々は、

モーセの戒めに従う ことが正しい事だと判断していました。ですから、イエス様が「あなた

方の中で罪のない者が、まず最初にこの女に石を投げつけなさい」と言われた時、律法の下に

あったユダヤ人は、「自分は罪人であっても、姦淫の罪は犯していないので、モーセに従って

石を投げなければ、自分が罪に定められる」と思って、律法学者やパリサイ人は率先して石を

投げつけて、殺していたに違いありません。すると、一歩間違えれば、イエス様は人殺しの

幇助(ほうじょ)(犯罪の遂行に便宜をはかること)者となり、女は死んでいたかも知れません。

そこで、もし、私たちがこの現場に居合わせたら、石を投げつけていたでしょうか。

或いは、投げないでいたでしょうか?どちらの側に立っていたことでしょうか。


   私たちは、生まれながらの罪人なのですが、他人の罪に関しては厳しい裁き司(高いところ

から命令を下すもの)となります。
実に自分の罪に関しては砂糖漬けにしますが、他人の

罪にはめくじら立てて辛子漬けにします。そして、平気で人を悪者扱いします。すなわち、

この現場に居合わせたら、人殺しを平気でしていたかも知れま せん。しかし、イエス様は

「誰でも、情欲を抱いて女を見る者は、すでに心の中で姦淫をしたのです」(マタイ5:28)

と、言われていました。ですから、誰一人石を投げつけることの出来る人はいません。しかし

ながら、この姦淫の女が連れて来られた時、一歩間違えば、私たちも罪人が罪人を裁いて、

殺していた恐ろしい人間になっていたかも知れません。すると、私たちが絶対主の裁きの前に

立った時、容赦なく裁きの対象となるでしょう。
そして、永遠の死の中に投げ落とされる者

となっていたことでしょう。こんな恐ろしい人間が、イエス・キリストの贖いを信じる機会

に恵まれたことは、何という奇蹟でしょうか。
こうして、「人が天に行くか、地獄に行くか」

は、実に絶対主の取り計らい以外の何物でもありません。ですから、罪人が偉そうに人を裁く

立場に立っては、絶対にいけないのです。ただ、へり下りがあるのみです。


 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室