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2018年 NO.634


『罪の精算』


 人は、自分の犯した罪の罪悪感を無意識に自分の中から追い出そうとします。それは、

クリスチャンでも、未信者でも同じです。それが、もし、キリストの贖いを信じたクリスチャン

であるなら、赦されないことです。なぜなら、キリストはすべての人の贖いの代価として
                                       かしゃく
ご自身を献げられました。それなのに、多くのクリスチャンは罪を犯した時に、良心呵責

に深く悩まされる)にまされるのを嫌い、惨めな自分を正直に見詰めることも

せず、自分の犯した罪を棚上げにして弁解したり、他人の所為にして自分は悪くないと

捏造したり、人を悪者にして嘘で固めて、あえて心を閉じ、不遜な態度を取って反抗的に

なったりします。
それは、自分の罪からの逃避であり、罪をみ消して帳消しにし、

罪の責めを受けないようにすることです。また、「人間は皆、罪人だから仕様がない」と
   
勝手にり替えて、自分を正当化さえしてしまうのです。


 このように、クリスチャンでさえ自分を守ることにおいては、天才的な悪賢さを発揮します。

なぜ、ここまで出来るのでしょうか? それは、私たちの内に魔物がいるからです。この魔物は

いくら反省しても、悔いても、出て行きません。私たちは、この魔物と一生涯付き合って

行かねばならないのです。たとえ、イエス・キリストの救いを信じたとしても、この地上に

在る間は消え去ることのない事実です。すると、私たちの一生涯の罪は、いかほどまでに高く

積み上がって行くのでしょうか?このような一生涯の罪は、全て絶対主の裁きの対象と

なって行くものです。
しかも、その罪の清算を求められたら、クリスチャンであっても平静で

いられるでしょうか。このことは、キリストの救いを信じたクリスチャンも例外ではありま

せん。


  そこでもし、罪の棚上げをして、自分の罪の責任から逃れようとするなら、自分が罪人である

ことを認めていないことの表れとなります。それは、罪の贖いをして下さったイエス・キリスト

の死を無意味にすることです。イエス・キリストの贖いは、この地上で罪人であることを認め

続けた罪人たちに対して有効な救いです。
すなわち、キリストを信じても、律法主義に陥った

ユダヤ人クリスチャンは、「キリストから関係が切られ、恵みから落ちてしまったのです。」

(ガラテヤ54)すなわち、罪人が罪を()み消そうとする偽善な生き方は、「自分は罪人

ではない」ということの表明をすることになるからです。キリストの贖いは、一生涯魔物を

抱えた、どうにもならない罪人に対するものです。
ですから、自分は罪を犯していない者の

ように振るまう偽善者には、キリストの贖いは適用されません。
ならば、人間はどうすべきで

しょうか。その答えは一つ。一生涯、魔物を抱えた罪人であることを正直に認めて、決して罪を

棚上げにしないことです。キリストを信じたとしても、罪人であることには変わりありません。

それなら、一生涯の罪は正直に認め、 その報いは受けて行くべきです。そうすれば、罪人の

為に贖いの代価を払って下さった絶対主は、罪の清算の時、キリストの罪の代価の故に、

裁きの対象から外して下さり、罪の裁きから救って下さいます。この救いがあるのですから、

クリスチャンは地上で犯す全ての罪の責任は、潔く受けて行きましょう。そこには、すでに

救いがあるのです。なぜなら、イエス・キリストの贖いによって、人の犯した罪の11つは、

総まとめで赦されるのです。



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