ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2018年 NO.627


信仰によって生きるとは
ローマ1:17

クリスチャンは、頭で考えた肉の思いと、心で考えた御霊の思いの、二つの声が聞こえて

来ます。頭で考えた肉の声を聞く者は、肉の性質に従う者であり、自分の都合に基いた

「できる、できない」、「損か、得か」という思いで考えた判断に頼ることになります。

その判断は、「恥をかきたくないとか、苦労したくない」という肉の面目を守る思いです。

しかし、心で考えた思いは、その心の中に御霊の思いが入っていますので、自分勝手な思いを

否定し、絶対主の御旨による考えを聞くことになります。それは、御霊の思いと肉の思いの

対立する声です。そこでクリスチャンは、二つの声を聞いて、どちらの声に立つのかは、

その人の自由意志による選択となります。多くの場合は、自分の都合によって、頭の声を

聞くか、心の声を聞くか、という判断をします。一般的に平均的なクリスチャンは、二つの

声を上手に聞き分けて、「あっちを聞いたり、こっちを聞いたり」しているのが現実です。

すると「二心」の、心の定まらない生き方となり、「自分のしたいと思う善を行わないで、

「したくない悪を行う」(ロマ7:19)というクルシミチャンになってしまうのです

しかし、聖書は、「肉に従って歩まず、御霊に従って歩むこと」(ロマ8:1)を勧めます。

なぜなら、「肉的な思いは絶対主に敵対するからです。」(ロマ8:7) すなわち、クリス

チャンが信仰によって生きて行きたいと思うなら、頭から出る肉の思いではなく、心から出る

御霊の思いに聞いて行くべきです。しかし、生まれながらの人間は、自分の損得の思いに

立っていますから、肉の声を聞く事が当り前になっており、クリスチャンでも肉の声を

聞いて、「御霊によって生きる」ことをしないのです。それは絶対主を裏切ることであり、

いのちと平安を失うことになります。ですから、私たちが絶対主と繋がり、御国の命の中に

入ることを願うなら、御霊の声に心を向けなければなりません。これが、「信仰によって

生きる」ということです。聖書は、「肉の性質に従って歩まず、御霊によって歩む私たちの

うちに、律法の要求が満たされる」(ロマ8:4)とあります。ですから私たちは、常に心に

語り掛けてくる御霊の声を聞くことを、勇気をもって始めなければなりません。頭から出る

肉の声と心から出る御霊の声の二股を掛けていてはいけません。「信仰によって生きる」

というなら、肉の声を聞くのを止め、常に心に語り掛ける御霊の声で判断して行く習慣を身に

付けて行くことです。自分の心の重心を御霊に傾け、行動して行きましょう。

 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室