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2018年 NO.651


クリスチャンが持つ、二つの心


  クリスチャンは、二つの心を持つ二重人格があります。その一つは、罪に堕落したアダムの

性質を受け継ぐ生まれながらの肉の心と、イエス様によって与えられた、内住する御霊の心

です。この二つはいつも対立しています。ガラテヤ書5章17節を見ると、「肉の願うところ

は御霊に逆らい、また御霊の願うところは、肉の性質に逆らうからです。こうして、二つの

ものは互いに相逆らい、その結果あなた方は自分でしようと思うことをすることが出来ないの

です」とあります。

 すなわち、私たちの心にある二つの思いは、ルシファーから入れられた魔物の思いと、

イエス様から頂いた御霊の思いの二つです
この二つは、いつもぶつかり合い、魔物の思いは、

御霊の思いを無視させ、「絶対主ありき」の心を馬鹿にし、自分の感情と自分の都合を中心に

考えるように誘い込んで来ます。そこで、魔物に誘い込まれ「自分ありき」の思いで考え出す

と、知らない内に肉的な思いの虜になり、平安を失ってルシファーの暗闇の中に誘い込まれて

しまうのです。しかも、この魔物の思いは、その人の本心から出ているように思わせ、

「こんな不信仰な自分は、弱いから駄目だ」とか、「もう、自分はこれ以上出来ない」と、

消極的な心に追い込まれていくのです。そのあげくの果てに、その人の決断に働いて絶対主に

逆らわせ、キリストを裏切る方向に向かわせるのです。この敗北の精神は「自分ありき」の

肉の心が自分の本心だと思わされているのが原因です。しかし、よく考えて見て下さい。

私たちの本心は、霊的な思いの中にあるはずです。しかし、私たちがルシファーによって

騙され続けて行くなら、最後は一生涯の罪の清算が成される時に、泣いて歯ぎしりすることに

なります。ところが、こんな私たちのために、イエス様が私たちの罪の債務証書を全部無効に

するために、十字架に釘付けにして下さいました。ですから、このイエス様の贖いを受けて

いるクリスチャンは、罪の清算が行われる時、罪の債務証書を完全に破棄され、一切の罪から

赦して頂けるのです。

  このような救いの保障を頂いている私たちは、もう魔物の声に左右されてはなりません。

この魔物の声は自分の声ではありません。ですから、自分の意思で砕いて、御霊の思いを自分

の思いとして決断して行くのです。なぜなら、クリスチャンの心は、「自分ありき」ではなく、

「絶対主ありき」の中に歩むことが救われた者の霊の本心だからです。すなわち、御霊の思い

が私たち自身の本心であり、魔物の思いは、私たちにとって「他人様」です。
その「他人の声」

に左右されて、「信仰の確信」を失うことは無意味です。だからこそ、魔物の心を砕いて、

御霊の思いに立ち、「絶対主のために、如何に心を使ってやって行くかどうか」が、クリス

チャンの生き方になって行くべきです。生まれながらの人間は、「自分が誉められるために心

を使うことが、自然になっています」。しかし、問題は、誉められる結果が出たか出ないか

ではなく、「如何に一生懸命、絶対主にあって心を使おうとしたかどうか」が問われるのです。

そのために魔物の思いは、自分が砕いて行くのです。そして、いつも「絶対主ありき」の

心の使い方をしていくのです。
クリスチャンは、この二つの心を持っています。

しかし、魔物の心は「他人」であって、自分の本心ではありません。 だから魔物の声に左右

されるのは、あほらしいことです。だから、大胆に魔物の心を砕いて絶対主に心を向けて

行きましょう。怒られた時にこそ、それを実践していく時です。


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