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2018年 NO.622


信じるとは心を開くこと


クリスチャンは、絶対主にあって生きて行くことを始めた者です。なぜなら、罪人の人間が

「自分を救うことも出来ず、自分を根拠にして生きて行くことも出来ない」と分かった

からです。又イエス様も、「義人を招くためではなく、罪人を悔い改めに導くため」に来て

下さいました。ですから、クリスチャンは罪人の自分を信じて生きている者ではありません。

 しかしながら、自分の苦手なことを「主にあってするように」と言われると、昔の自分を

見て臆病になり、後向きになって信仰さえ捨てようとしてしまうのです。それは、未だに昔

の自分を根拠にして物事を考える癖から抜け出していないからです。「クリスチャンの

戦いは、血肉に対するものではなく、諸々の支配と権威と、この暗闇の世界の支配者たち、

また天の領域にいる悪霊に対する」戦いです。
(エペソ6:12)ですから、この悪魔に

立ち向かわなければなりません
(第Tペテロ5:9)。悪魔は、人がいくら弱い人間で

あっても、容赦なく潰しにかかって来ます。それは、アダムの創造以来、今日までルシファー

が続けている攻撃です。「あなた方の敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽く

すべきものを求めて歩き回っています」(第Tペテロ5:8)。私たちは、この悪魔に食い

尽くされ、「主を信じ仰ぐ心」も奪い取られて敗北していいのでしょうか? いくら、肉の

性質が弱く、臆病であっても、戦わなければ、ルシファーの餌食となって、ルシファーと

共に永遠の暗闇の中に落とされてしまいます。そうなれば、せっかく、イエス様によって天

の御国に預かる者とされた特権を失うことになるのです。ですから、決して敗北してはいけ

ません。ならば戦うしかありません。この戦いを絶対主にあって戦うなら、決して負ける

戦いではありません。
しかし、弱い肉の力で戦うなら敗北しかないでしょう。敗北する人は、

絶対主を信じる者ではなく、自分を信じた者だるからです。
だから、自分に問い掛けて

下さい。「私は自分を信じているのか?絶対主を信じているのか?」と。クリスチャンは、

どこまでも、「自分を徹底的に否定して主に従う者です。決して自分を根拠にして歩む者では

ありません。」
もし、自分の肉の思いと、霊的な考えとがぶつかったならば、「自分の考え

を砕き、聖書の御言は正しいのだ」という信仰に立ち、悪魔に立ち向かって行きましょう。

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