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2018年 NO.623


『受ける心から、与える心へ』


 「私たちは、自分の罪過と罪の中に死んでいた者であって、この世のならわしに従って、

空中の権を持つ悪霊に従って歩んでいました。そして、肉の思いの欲するままを行い、

生まれながらに御怒りを受ける滅びの器でした(エペソ2:1〜3)。それが、絶対主の

大いなる寛容によって、罪過の中に死んでいた私たちをキリストと共に生かし、キリストに

あって共に甦らせ、共に天の所に座らせて下さいました(アオリスト形)。こうして、私たちが

救われたのは、実に恵みにより、主を信じ仰ぐことによったのです。(エペソ2:5〜8)。

これは、決して自分の行いによるのではなく、絶対主からの賜物です(エペソ2:8)。」

こうして、罪人の私たちが、キリストの御蔭で罪の清算と天の御国の相続に預かったの

ですから、私たちは、もう自分の弱さに脅えたり、能力のなさにへこんだりする必要は
                        おそ
ありません。また、たとえ死に至る病いの中で悪夢にわれることがあっても、不安の

虜になる必要はありません。なぜなら、死後の世界の救いが、完全に保障されたからです。

それなら私たちは、これ程のキリストによる罪の赦しがある以上、あと何が必要でしょうか?

 しかも、この地上の残された生涯に関して、「何を飲み、何を食べ、何を着るかと思い煩う

のは止めなさい」と勧められ、「天の父は、それらがことごとくあなた方に必要であることを

知っておられます。」だから、「あなた方は、まず絶対主の国と絶対主の義を追い求め続けな

さい。そうすれば、それらの必要はすべて添えて与えられます」(マタイ6:32〜33)と

約束されているのです。


  それなのに、私たちは「絶対主だけを第一にして、本当に生きて行けるだろうか」と不安に

駆られてしまいます。それは、御言葉通り実行する勇気がないからです。しかし、ジョージ・

ミュラーさんは、これを実践しました。そして、2000人もの孤児を同時期に養い育て

ました。このように、私たちもキリストの救いを信じたのなら、この絶対主の約束も信じる

べきではないでしょうか。
ただ聖書には、「働かざる者、食うべからず」(第Uテサロニケ3

:10)、と言われています。ということは、働かなくても、天の父が養って下さると

考えるのは間違っています。天の父は、働く場を与えて下さり、一生懸命に働けば、必ず父は

必要を満たして下さるということです。こうして、現在の命も、また死んだ後の命も保障して

下さる絶対主がいるなら、私たちは、もう受けることを考えるのではなく、天の父のために

一生懸命忠義を尽くして行くことを、この地上の目標にして行くべきではないでしょうか。

もう自分のことよりも、絶対主のために身を献げて、絶対主の意向を汲んで実行して

行くように、心を定めて行こうではありませんか。
自分の為より、絶対主の為に生きる

ことが、私たちの本当の本意であるはずですから。




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