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2018年8月26日


『私たちの中の不要な部分を絶対主に刈り込んでいただき、
主と繋がった心で一生懸命働かせて頂く』

ヨハネの福音書15:1~17



起) ヨハネの福音書15章の「ぶどうの木のたとえ」から、「私たちの中の不要な部分を絶対主に

刈り込んでいただき、絶対主と繋がった心で一生懸命働かせていただく」ということを学んで行き

たいと思います。


(承) さて、ここでイエス様が話しておられるように、ぶどうは、枝が木に繋がっていなければ、

実を結ぶことはできません。枝が木に繋がっていて初めて、そこに栄養分が流れ、実を結ぶのです。

ところが、すべての枝が木から栄養分を受けているわけではありません。中には、「枯れ枝」と言って、

木に繋がってはいても、木からの栄養を全く受け取っていない枝があるのです。その枝は決して実を

結ぶことはありませんので、すべて取り除かれて焼かれてしまうのです。その「刈り込み」の作業を

することによって、枝の数は少なくなりますが、そのぶん、一本一本の枝に行き渡る栄養分が多くなり、

大きい実を結ぶのです。だから、
「刈り込み」の作業は、実を大きく、豊かにさせるために、とても

大切な作業
なのです。

(転) さて、このことは、私たちの個人個人の信仰においても言えることです。枝が木に繋がって

いなければ実を結ぶことができないように、私たちもイエス様に繋がっていなければ実を結ぶことが

できません。しかし、たとえイエス様に繋がっていたとしても、私たちの中に、不要な心、絶対主と

繋がらない心があるならば、それは取り除かれなければなりません。では、わたしたちの中にある

「不要な心、絶対主と繋がらない心」とは、具体的にどのような心でしょうか。それは、「自由意思

を自分のために使って行こうとする心」です。私たちは生まれながらにその心を持っており、

それが、家や学校の教育によって育てられてきたのです。どういうことかと申しますと、私たちが

受けて来た教育は、「自分が持っている特徴を生かし、その部分を伸ばしなさい」という教育です。

その中にあって私たちは、「自分の考えを主張して行く生き方がかっこいい。人の言いなりになんて

なりたくない。自分は自分で考えた『より良い生き方』をして行くのだ」と、どこまでも自分の我を

通して行く世界に向かったのです。しかし、それは間違っています。なぜなら、
私たちの自由意思は、

自分で獲得したものではなく、絶対主から与えられたものだからです。
だから、自由意志は自分の

ために使うのではなく、絶対主のために使うのが、自由意思が与えられた本来の目的です。


それなのに、私たちは生まれたときから当たり前のようにして、自分のために自由意思を使ってき

ました。それをなお続けて行くならば、私たちは、絶対主やイエス様と繋がらないどころか、悪魔と

繋がって行くのです。
何故かというと、一番最初に自分のために自由意思を使ったのはエバだからです。

エバは悪魔にそそのかされて、絶対主に従うために自由意思を使ったのではなく、自分の利益のために

自由意思を使いました。これが、私たちが生まれながらに持っている、「自由意思を自分のために

使って行こうとする心」の出所です。この部分は、絶対主によって刈り込んでいただかなければなり

ません。そのためには、「自由意思を自分のために使って行きたいという思いは間違っていた。

ならば、そんなものはもうどうでもいい」と放棄し、明け渡す心が必要です。そして、私たちは

砕かれた悔いし心を持って、
どこまでも絶対主のために自由意思を使って行くべきです。なぜなら、

私たちは絶対主に選ばれたからです。(15:16)そのように言える根拠は、17:8にあります。

イエス様が、「わたしは、あなたから頂いた言葉を彼らに与え、彼らはその言葉を受け取ったから

です」と言われたように、私たちは絶対主の言葉を信じ、受け取ったことによって、私たちはイエス

様に繋がり、絶対主に繋がりました。だから私たちは「今ここにいる」のです。ということは、

私たちは「選ばれていた」ということです。


(結) それが分かったら、もう自分のために自由意思を使うのは止めましょう。

絶対主に選ばれた私たちは、もうこの世の者ではありませんので、
どこまでも絶対主の御心に従って

行くために自由意思を使うのです。
これが私たちの地上での生き方です。どうか、私たちの中の

不要な部分を絶対主に刈り込んでいただき、絶対主と繋がった心で、一生懸命働かせていただこう

ではありませんか。私たちには能力の限界がありますが、それでも何とか実を表そうとして取り

組んで行くなら、絶対主は刈り込みをして下さり、上からの助けも与えて下さり、大きな実を結ばせて

下さいます。どうか、一人一人がこの歩みを始め出しましょう。 
 


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