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2018年12月16日

絶対主のお考えに聞き従う』

エペソ人への手紙6:10~18


(起)エペソ6章10~18節の御言葉から、「悪魔の策略を見抜き、自分の考えに立つことを

やめ、絶対主のお考えに聞き従って行く」と決断することを、学んで行きたいと思います。

(承) さて、私たちは、教会に来るまで絶対主の存在を知らず、自分の考えに立って、自分の

思い通りに生きてきました。しかし、教会に導かれ聖書を通して絶対主の存在を知ったとき、

「このまま自分の考えを持ち続けて自分勝手に生きて行けば、自分は罪の報いを受けて裁かれる

だけだ」ということが分かったのです。しかし、それだけでなく、「こんな罪人でも、罪の償いの

ために、絶対主がご自分の御子を送って下さった」ということを知り、その救いを信じました。

すなわち、
「この救いを求めて、キリストを信じた」ということは、「これまでの自分のものの

見方、考え方、生き方が間違っていたのだ」と言うことを認めたということです。
ならば、その時

から「これからはイエス様のお考え、絶対主のお考えに聞き従って生きて行きます」という考え方

に変わって行くはずです。すなわち、「これまでの自分勝手な思いから離れて、聖書が教えている

絶対主の考えで生きていきます」という考え方に転換して行くことです。それは具体的には、

これまでの自分中心な考えで生きて来た「自我を砕く」ということになります。クリスチャンの

歩みとは、「このように、如何に今までの自分の考えを砕き、そこから離れて行くか」ということ

なのです。

(転) しかしながら、私たちはイエス様を信じたにも関わらず、未だに信じる前と同じような

生き方を続けています。それは、悪魔の策略にやられてしまったからです。信じた当初は、

「これからは、絶対主のために生きていくぞ」と、情熱に燃えて、まっしぐらに生きて行こうと

していました。ところが、次第に情熱は冷めてしまいました。それは、絶対主を信じて新しい

生き方が出来ると思っていたのが、実際は、何一つ変わっておらず、罪人のままの自分であった

からです。

  しかし、それもそのはず、私たちは救われるために、何一つ良い行いをした訳でもありません。

ただ、キリストが罪人のためにして下さった「罪の償い」を信じただけです。ですから、信じたから

と言って、善人になれる訳がありません。そこで、その現実を付いて、悪魔は誘惑してきます。

「お前たちは、信じたからといって何が出来るのだ。何も出来ないではないか。信じても罪人で

ある情けない自分は一つも変わっていないではないか。いったい、どこが救われているのだ。

それなら、今まで通り自分の思い通りに生きて行けばいい。その方が楽で自由だ。何でも自分の

思い通りできるだろー。」と(ささや)いてきました。私たちは、この悪魔の声にはまり、自分の

我を通す生き方を、再び始め出してしまったのです。しかし、イエス様の救いは、人間の罪の裁き

の身代わりであり、私たちが良い行いをして、救われた訳ではありません。

ですから、キリストの救いを信じたからといって、命を閉じるまでは罪人である事実は一つも

変わらないのは当然です。もし変わっているとしたら、自分の心の変化だけです。それは、

本来なら、裁かれて地獄に行く者が、ただイエス様の御陰で地上の命を閉じた後に、天の御国に

入れて頂ける事が分かって、それなら、少なくとも地上にいる限りは、罪人で力足らずの者ですが、

「少しでも絶対主のお役に立ちたい」という心に変化したことです。この心の変化が起これば、

自分の思い通りに生きようとする意識を砕いて、「自分の思い通りに生きよ」と誘惑してくる

悪魔に立ち向かって行こうという心になって行くはずです。
絶対主の武具を身に着ける

(エペソ6:11)ということは、どこまでも絶対主の考えに聞き従う決断をするということです。


イエス様を信じた者は、自分に信頼するのではなく、絶対主に信頼して行くのが正しいからです。

私たちは、イエス様の御陰でその道が開かれました。ならば、どこまでも絶対主に信頼して

聞き従って行く生き方に変えていくべきです。


(結) 私たちは、これまで絶対主の声に耳を傾けず、自分の考えで決めて何度も失敗して来ました。

ならば、いいかげん、自分の考えに頼り、自分の功績で絶対主に認めて貰おうとする考えは変えて

行くべきです。なぜなら、自分の功績で絶対主に受け入れられるならば、イエス様が命を懸けて人

の身代わりに立つ必要はなかったからです。だから、今地上にいる限り、たとえ力不足ではあっても、

絶対主に従って用いられて行きたいものです。

 そして
「絶対主の考えに合わせて行くこと」を当たり前にして行くのです。そうしなければ、

絶対主といつも喧嘩することになります。もう喧嘩はやめましょう。それは自分が決める決め事

です。自分が絶対主に対してその意思を表すのです。そして、「もう私は絶対主にお任せし、

明け渡します」と心に決めるのです。これが、絶対主を信じて行くクリスチャンの心です。

この決断なくして、クリスチャンの歩みは始まりません。どうか、
悪魔の策略を見抜き、自分の

考えに立つことをやめ、絶対主のお考えに聞き従って行く
」と決断し、ここから始め出しましょう。



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