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2017年 NO.597




逆らう罪の棘


 ルシファーは、絶対主から創られたものの中で一番、賜物に長けていたものです。

しかし、与えられた賜物に、「絶対主の星々のはるか上に私の王座を上げ…いと高き方

のようになろう」(イザヤ14
1314)と言って思い上がり、反逆したため、彼の運命は

燃えるゲヘナに落とされるものとなったのです。そして、アダムとエバも、このルシファーに

誘惑され、絶対主に「逆らう者」となって、絶対主との交わりの幸いを失う者となってしま

いました。これが人間の罪と不幸の始まりであり、このことによってアダムの子孫である

全ての人間の心の中に、この「逆らう罪」の原罪が、心の奥底に「罪の棘」として刺さって

しまった
のです。

 ですから、私たち人間の心の中には「恐ろしい反逆の精神」が隠れ潜んでいるのです。

普段は、この反逆の精神が理性によって抑えられているのですが、ひとたび、抑制力が切れて

しまった時には、所構わず、相手構わず、この反逆の精神が裏切りの行為となって、醜い罪を

表わしてしまうのです。ところが、私たちの命の創造主は、人間を罪のら救うために、

ご自分の命を 代価として献げられ、人の罪の贖いを成し遂げて下さった
のです。こうして、

絶対主は、御子の贖いの故に「もはや、彼らの罪と不法を決して思い出すことはしない」


(ヘブル1017
と言われて、もう一度、人間を交わりの中に回復して下さったのです。

ただし、この救いは、「もう二度と絶対主に逆らうことはしない」という私たちの信仰の

姿勢に掛かっています。なぜなら、「逆らうという行為は、幸いな交わりをあえて切ること」

になるからです。(ヘブル648


 
ですから、キリストの救いを信じ、罪の贖いを受けた人は、決して「絶対主に逆らう罪」

だけは犯しては成りません。それは、ルシファーと同じ運命を辿ることになるからです。

しかし、私たちのこの「罪の棘」は、この体が贖われて天の御国に入れられるまでは、決して

抜かれることはありません。というのは、クリスチャンはキリストの贖いを信じて、一方的に

救いに預かったのですが、私たち自身は何の行いもなく、信じる前の自分とは少しも変わって

いないからです。ですから、天に行くまでは、この罪の棘は  刺さったままですので、

日頃の罪の罪過は犯し続けてしまいます。しかし、キリストが罪のための完全ないけにえを

献げて 下さったため、罪のための生け贄はもはや必要ありません(ヘブル1018)、

絶対主の側では、救いは完全なものですから。しかし、もし救われた者があえて反逆の罪を

犯し、絶対主との交わりを絶つことをしたならば、「絶対主の御子を再び十字架につける

ことになり、呪われて遂には焼かれてしまいます」(ヘブル648)。ですから、救いは

二度と「反逆の罪」だけは犯さず、絶対主の交わりから離れないことだけが大切な条件です。

それをあえて犯すなら、絶対主の御手の内に落ちることになります。
(ヘブル1031

日々の罪に関しては、決して棚上げをせずに、度毎に罪を認め告白し続けて行くなら、それ

らの罪は赦されます。(Tヨハネ17)ですから、この地上の残りの生涯は、こんなすごい

救いを、一方的な贖いで 与えて下さったのですから、キリストの為に、一生涯、忠実に

仕えて行こうではありませんか。



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