ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2017年 NO.588


永遠の待遇に関わる今


 クリスチャンにとって永遠に関わる処遇については、黙示録に明確に示されています。

それは、7つの教会に宛てて書かれた手紙の目的が、どこの教会にあってもその結論が、

「勝利を得る者となれ」そうすれば、「聖なる都に住む待遇を得る」というものであるから

です。実に、黙示録全体の書かれた目的は、黙21章7節に「勝利を得る者は、これらの

ものを相続する。」と明確に結論づけられています。ですから、クリスチャンとして歩み

始めた者は、「死に至るまで忠実でありなさい」といわれているように、患難時代の中で、

「獣とその像を拝まず、額や手に刻印を受けることなく、絶対主の戒めを守り、イエスを

信じ仰ぐ心を持ち続けて行く、聖徒の忍耐」(黙14:9、12)が「勝利を得て行く者」

の歩みとなるのです。
それは、患難時代の殉教者となることです。すると、黙22章3節に

記されている「絶対主のしもべたち」の立場に立つことになり、「聖なる都」の中で幕屋

を張って頂き、昼も夜もその聖所で絶対主に仕えて行く者とされるのです。そこでは、

御座の正面におられる小羊が牧者となられ、聖徒たちをいのちの水の泉に導いて下さいます。

このようなすばらしい立場に立たされるのが、「勝利を得た者」たちに与えられる待遇です。

この結論こそが、黙示録が書かれた目的ですので、この勝利を目指して歩むように、

この地上に在って歩むために、クリスチャンたちに明確に指針が示されたのです。

この患難時代は、私たちの時代に始まります。ですから、信仰によってこの命を懸けて

獣に証しをする者は、黙12章11節にあるように「兄弟たちは、小羊の血と、彼らの

証しの言葉とによって、その龍に打ち勝ち、死に至るまでも自分の命を惜しまなかった」

という殉教者の道となります。

 ですから、クリスチャンが、患難時代の前に天に上げられるという能天気な考え方は、

一切通用しません。だから、「今のこの平和だ安全だ」という時代の中にあって、絶対主

を中心に、絶対主に懸けて生きていく者でなければなりません。絶対主を第一とする

生き方は、自分本位の生き方ではなく、絶対主本位の心に変えて行く決心をすることです。


なぜなら、「今」の生き方が、命を閉じた後の永遠の待遇に関わってくるからです。

「御国」に入れてもらえるかどうか? 御国に入れて頂いたとしても、「聖なる都」に

出入り出来る待遇を得れるのか(黙22:14)、また聖なる都の中の「御座の前に幕屋

を張って頂ける待遇」を得れるのか、或いは最悪、信じていたとしても頭だけで、主から

「私はあなたを知らない」と言われ、火の池に投げ込まれてしまうのか、それは「今」の

信仰の心によって決ってしまいます。
私たちは、黙示録を通して全てを知らされたの

ですから、今こそ永遠に関わる生き方を始め出そうではありませんか!




 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室