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2017年 NO.587


死に至るまで忠実であれ!』
「今から後、主に在って死ぬ者は幸なり」

 黙示録13章には、ダニエルの預言やイエス様の世の終りの預言に出てくる「荒す憎むべき

者」が登場して来ます。この荒す憎むべき者は、666と言われる獣です。彼は、患難時代の

ど真ん中に登場し、3年半の活動の後、黙示録19章19節のハルマゲドンの戦いで、

イエス様によって生きたままゲヘナに投げ込まれます。しかし、それ以前に、「獣は聖徒に

戦いを挑んで、勝つことが許されています」(13:7)。そのため聖徒は虜になり、剣で

殺され殉教して行きます。ですから、クリスチャンは「絶対主の戒めを守り、イエス様を信じ

仰ぐ心を持ち続ける聖徒の忍耐がここにある」とあり、「今から後、主にあって死ぬ者は幸いで

ある」(黙14:12、14:13)と言われているのです。この聖徒は、患難に入って行く

クリスチャンのことで、それ以外の人々ではありません。なぜなら、龍は「絶対主の戒めを

守り、イエスの証しを保っている者たちに対して、戦いを挑むために出て行きました」(默12

:17)。そして、その龍は、獣に権威を与えて、獣によってクリスチャンを絶滅しようと

するのです。これは定められた預言です。ということは、必ずクリスチャンは命を落とすという

ことです。
私たち日本の先祖は、幾度となく戦いをして来ました。そして、自分の仕える殿の

ために死ぬことは名誉であると考えていました。また、太平洋戦争では、「天皇にバンザイを

叫び、靖国で会おう」といって命を落して行きました。この日本人の精神の中には、「己の命を

義の為に献げることは名誉である」という心があったからです。「何故、命を懸けるのか?」

それは、自分にとって一生に一度の大切な命を懸けるのですから、それは損得抜きの純真な

行為を献げる相手への、最良の行為として示す方法であったからです。私たちは、同じ日本人の

心を持つ者として、この精神を命の主である絶対主に示すのです。又それと同時に、

日々私たちを訴える悪魔に対して、私たちの純真な精神を、即ちキリストにあって生きてきた

心を絶対主にあって、悪魔に突き付けるのです。
この絶対主に対して、義を貫く心を持って、

「命の絶対主よ、万歳(永遠に栄光あれ)」と叫び、主にある兄弟たちに「御国で再び会おう」

と潔く命を閉じることが出来れば、「今から後、主に在って死ぬ者は幸いである」と言えるで

しょう。これが「勝利を得る者」であり、「死に至るまで、忠実であれ、そうすれば決して

第二の死によって滅ぼされることはない」(默2:10、11)と言われた御言を味わうことに

なるでしょう。人にとって、天の御国こそが最高の場なのですから。
 


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