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2017年 NO.584


御国に繋がる信仰


クリスチャンは、イエス・キリストを信じれば永遠の命に預かる、と短絡的に信じて

います。確かに本気で信じたのなら、絶対主は間違いなく天の御国へ入れて下さるでしょう。

しかし、口先だけの信仰告白では永遠の命は与えられません。では、本気の信仰か口先だけ

の信仰かを見分けるにはどうしたらいいのでしょう?

  それは、人間の側の御都合で、決めていても駄目です。

どこまでも、天の御国に入れて下さる絶対主の側の判断を知る必要があります。

絶対主は、御子イエス・キリストに「人間の罪の贖いをして来い」と言われて、イエス・

キリストは人間の罪の身代わりとなって十字架で死なれました。そのため、人間の

行いの成果を差し出さなくても、イエス・キリストがして下さった身代わりの死を信じて

受け取るなら永遠の命を頂き、御国に入れられるのです。ただし、本気で信じなければ

なりません。「それが、嘘か、本当かは天国に行くまでは分からないのだから、とにかく

嘘であっても、信じれば天国に入れてもらえるというなら、地獄へ行くよりましだから、

1つの保険として信じておこう」、という打算的なものなら、絶対主は、「御子の命を

懸けているのだぞ、バカにするな!」、「もしお前が信じるというなら、命懸けで信じろ」

と言われてしまいます。この命懸けの信仰はどのように、表現すればいいのでしょうか?

どのように信じれば絶対主は、「信じた」と認めてくれるのでしょうか?

  それは、「信仰の行いによって表わせ」と言われています。

例として、絶対主はアブラハムに、お前が本気で信じているなら、「お前の愛する一人

息子を、わたしの為に献げよ」と言われたのです。アブラハムにとって救いは、地上の

御利益と考えていたら、「一人息子を失ってまで信じる意味はない」と、否定したこと

でしょう。しかし、アブラハムは本気で絶対主を信じていたので、絶対主の言われるまま、

息子を献げようとしました。その時、絶対主は、アブラハムに声を掛け、「お前が本気で

わたしを信じる心を見た。だから、その子に手を掛けてはいけない」
と言われたのです。

アブラハムは、本気の信仰を行いで表わしました。今、私たちも罪人であると口先だけで

言うのではなく、行いで表せと言われています。罪人なら、罪の責任位いは取るべきです。

怒られるのが怖くて逃げていてはいけません。たとえ恥をかいても罪の責任を行いで

取るのです。すると、人にバカにされても、絶対主は「軽んじない」と言われるのです。

「御国に繋がる信仰」は、口先で告白することを「行い」で表わすのです。

勇気をもって「真実な行い」をしましょう。



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