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2017年9月17日

新しい方法で努力し、新しい方法で結果を出して行く

~新しいぶどう酒は、新しい革袋に~

マタイ福音書9:14~17


(起)マタイの福音書9章17節の御言葉から、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に」という御言葉

から、これからは、「新しい方法で努力し、新しい方法で結果を出して行く」ということを学んで

行きたいと思います。

(承)さて、17節を見ますと、「誰も、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしません。もしそんな

ことをしたら、その皮袋は 張り裂け、酒は流れ出し、しかも皮袋は無駄になってしまいます。

だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきです」とありますが、これは一体何のことを

言っているのでしょうか。実は、当時のユダヤ人たちは、ローマの圧政から解放されるために、

メシアの到来を待ち望んでおり、ヨエル書の預言の通り断食をして、祈り続けていました(ヨエル書

2:12~13)。その時、ヨハネの弟子たちが、イエス様の弟子が断食をしていないのを見て

「何故、あなたの弟子たちは断食をしないのですか」と非難してきました。そこで主は、彼らに

「私がメシアとして来たからには、私がここにいる間は断食の必要はありません」と言われ、

その譬えとして、「花婿が一緒にいる間は、悲しむ必要はありません。・・・新しいぶどう酒は、

新しい革袋に入れるべきです」と語られたのです。すなわち、「メシヤが今こうして来られた以上、

断食する必要はなく、喜んでこのメシヤを受け入れれば良かったのです。ということは、「メシヤが

来た」ということは、「新しい時代が当来した」ということですから、「昔の古い教えに縛られる

ことなく、これからは新しい時代にふさわしい方法で主に仕えて行きなさい」と言われたのです。

すなわち、今までのように、「自分自身に頼って律法の行いを表していく」という古いやり方では

なく、メシヤであるイエス・キリストが来られたのですから、「キリストに頼って信仰の行いを

現していく」という、「新しいやり方がふさわしいのです」と、この譬えを用いて語られたのです。

(転)実は、これは私たちにも当てはまることです。私たちも、イエス様を信じる前は、「生まれ

ながらの自分の能力に頼って結果を出して行く」というやり方をしていました。しかし、もし
生まれ

ながらの能力が全て
であるなら、こんな不平等なことはありません。なぜなら、生まれる前には、

自分の命には何一つ関与も出来ず、勝手に生まれて来たからです。ですから、 生まれる前に全てが

決まっているなんて許せません。ところが、イエス様と出会った時に分かりました。「全ての人間が

生まれる前から皆罪人なので、どんなに結果を出したとしても、絶対主の前に裁かれる」という

ことです。しかしながら、「その全ての人の罪の償いをして下さった救い主がおられ、自分の罪を

認めてキリストの救いに預かれば、全ての人が平等に、キリストの助けを受けて結果を出すことが

できる」ということを知ったのです。すなわち、
「もう信じる前の古い自分に頼って結果を

出すのではなく、新しい方法でキリストに在って結果を出して行くのが正しい方法がある」
と、

イエス様が語って下さったからです。このように、「すべての人に何の条件も付けず、ただ

キリストの恵みによって救われ、新しくスタートできる」という事は、 何と有り難いこと

でしょうか。「しかも、クリスチャンは、もう古い自分の能力によって生きて行く必要はなく、

キリストに在って 新しい方法で生きて行く方法に変えて行ける」ということです。例えば、

長血の女は、長い間病気で苦しんでおり、どの医者に見て貰っても治らず、お金を吸い取られる

一方でした。しかし、イエス様のことを知り、「この方だったら絶対に治してくれる」と信じて、

イエス様の着物を触りました。すると病気が癒されたのです。どんな病人であっても、どんなに

能力がない者であっても、「結果を出したい」という気持ちはあります。そこで、彼女は自分の力に

頼らず、ただイエス様に信頼し、イエス様にあって結果を出したのです。それが、イエス様に頼って

やって行く新しいやり方です。私たちはイエス様を信じたのですから、主を信じる心の努力をし、

クリスチャンの方法で結果を出して行くべきです。たとえ、それで良い結果を出せなかったとして、

もし自分の知性と能力に頼って結果を出しても、それは絶対主に受け入れられません。なぜなら、

自分の能力に頼って出した結果は、必ず自分自身を誇らせて傲慢になるからです。だから、結果を

出したからといって、何もかも認められて、天の御国に繋がるということではありません。
自分の

能力に頼って結果を生み出すのか、或いはイエス様に頼って、イエス様の栄光の中で結果を出させて

頂くのか、その結果の出し方によって、大きな差が起こって来るのです。


(結)だから、私たちが「結果を出したい」と願い、そのために努力をすること自体は悪いことでは

ありません。ただし、クリスチャンは、キリストに在って努力し、クリスチャンの方法で結果を

出して行くのです。その努力は、
『心の努力です。』たとえ失敗をしても諦めず、どこまでも

イエス様に頼ってやって行くことです。「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるべき」と、

イエス様が言われたメッセージがここにあります。これを実践して行こうではありませんか。

 


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