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2017年12月31日

『どんなことがあろうが、自分は絶対主を第一にする』

ルカの福音書2:41~52


(起) 今年一年の締めくくりのメッセージとして、「『どんなことがあろうが、自分は絶対主を

第一にする』と、はっきりと定め、来年の新しい一年のスタートを切らせていただく」という

ことを学びたいと思います。


(承) さて、ここを読んで行きますと、十二歳になったイエス様は、両親と一緒にエルサレムの

祭に行きました。ところが、祭が終わって帰るとき、イエス様は、両親に何も伝えずに、

自分だけ宮に残り、教師たちと話を続けておられたのです。そんなことを全く知らなかった

両親は、「イエスは自分たちのあとをついて来ているもの」と思い込んで、一日の道のりを

帰ってしまいました。ところが、イエス様がいないことに気付き、両親は慌てて親族や知人に

聞いて回り、見つからないので、またエルサレムまで引き返しました。すると、宮にいた

イエス様を見つけ、母マリヤが「どうしてこんな事をしてくれたのです。父さんも私も

心配して、あなたを捜していたのです」と、イエス様を叱りました。すると、それに対して

イエス様は、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、

ご存じなかったのですか」と答えました。イエス様は、「勝手なことをして、心配をかけて

ごめんなさい」と謝ったのではなく、逆に両親を戒めるような言い方をされたのです。

この場合、イエス様と両親、どちらが正しいのでしょうか。このとき、私たちの中には、二つの

相反する考えが出てくると思います。一つは、
「自分の肉のわがままを表したイエス様が間違い

であり、両親の心こそが正常だ」
という考えです。もう一つは、「イエス様は絶対主の子

だから、これは単なる肉のわがままではなく、聖なる子としての行動のはずだから、両親が

イエス様を叱る必要はなかった」
という考えです。このように、相反する二つの考えが私たちの

中でぶつかった時、どちらが正しいのか?私たちは判断に迷ってしまうことがあります。


(転) では、そのようなとき、私たちはどのような判断して行けば良いのでしょうか。

それは、
「何が何でも聖書は正しい。『絶対主が良し』と言われたら良し」という基準に立つ

ことです。
先程の、「イエス様と両親、どちらが正しいのか」を考える場合、2章52節を

見ますと、「イエスはますます知恵が加わり、背丈も伸び、絶対主と人から愛された」と

あります。もし、イエス様がしたことが、絶対主の意向に反することであったなら、「イエスは

絶対主から愛された」とは書かれていないはずです。だから、イエス様が宮に残って話を続けた

ことは、絶対主が許されたことだったのです。絶対主が許された以上、それは正しいのです。

ですから、「何が正しいか、何が正しくないか」という判断をする時、私たちは、人間の知恵や

常識に基づいた判断をしてはいけません。どこまでも、『対主が良し』としている事柄が

正しい」と、絶対主の考えに基づいて判断をするべきです。だから、私たちは、常に絶対主の

お考えを汲み、それに合わせて行くという前提を持っていなければなりません。それが

なければ、私たちは悪魔との戦いができません。先週、「私たちの教会に与えられた使命は、

悪魔との戦いである」ということが明確になりました。世の終わりの救済計画にかかわる

集大成の一端として、私たちは悪魔と戦って行くのです。それが絶対主から与えられた使命なの

ですから、私たちは、「はい。分かりました」と言って、それに従うべきです。そこで、

「自分は弱い者で臆病者ですから、そんなことはできません」と言って不信仰になる者は、

どこまでも自分の気持ち、自分の考えを信じ、自分を第一にしていることです。それは間違って

います。私たちは絶対主を信じているのですから、常に絶対主の考えを第一にして行くべき

です。すなわち、
絶対主の義が通る物の見方・考え方を常にして行くべきです。自分の気持ちが

どうであろうが、人に何と言われようが、私たちはここに立って行くのです。その心を

はっきりと定めることによって初めて、私たちは主にあって悪魔に立ち向かって行くことが

できます。


(結) どうか、この土台に立ちましょう。もし、自分の思いと霊的な思いがぶつかって、

判断に迷ったときは、「自分を信じているのか?絶対主を信じているのか?」と、自分に

問い掛けて下さい。そして、聖書を読んで下さい。聖書に書いてあること、「絶対主が良し」と

言われることが、絶対に正しいからです。この生き方を土台として、これからの悪魔との

戦いに、主の兵(つわもの)として用いていただきましょう。
「どんなことがあろうが、自分は

絶対主を第一にする」
と、明確にはっきりと定め、来年の新しい一年のスタートを切らせて

いただこうではありませんか。

 

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