教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室



2017年12月10日

純粋な心で絶対主に従い、その純な心を磨いて行く

ピリピ人への手紙3:2~16

(起) 「純粋な心で絶対主に従い、その純な心を磨いて行く」ということを学んで行きたいと

思います。


(承)さて、3節、4節を見ますと、パウロさんは、悪い働き人すなわち、割礼主義者に

気をつけなさいと警告し、「肉により頼む者」とならないようにと勧めています。

この「肉により頼む」とは、どういう意味かと申しますと、「自分が認められるために、

人前でラッパを鳴らすこと」です。ユダヤ人の多くは、人前で自分の義を積み上げて行く事を

していました。だから、いくら「これをやりました、あれをやりました」と言っても、絶対主

には何もかも知られているので、人の偽善的な行為は一つも受け入れられることはなかった

のです。また、「肉により頼んでいる人」は、基本的に、自分のために生きています。

ですから、絶対主に対して生きていないので、絶対主と繋がることはできませんでした。


(転)では私たちは、真の割礼主義者になる為に、どうすべきでしょうか。それは、肉の

誇りから離れることです。私たちは元々、生まれながらの罪人ですから、どんなに頑張っても、

「罪人」という土台の上に義を積み上げることになります。だから、自分の行いで誇りを持つ

ことはできないのです。
パウロさんも言っているように、今まで誇りだと思っていたものは

「無益」であり、「ゴミ」同然のものです。(7~8節)ならば、あと自分に残るものは、

「キリストを信じる信仰に基づく義」しかありません。
(9節)

 私たちは、この真理に明確に立たなければなりません。そして、それが分かったら、私たちは

日常の中で、怒られることがあっても逃げてはいけません。私たちには、誇れる者は一つもない

のですから、もし怒られるようなことがあれば、心から謝るべきです。しかし、人間は心まで

怒られたくないので、上手に上辺を装って「ごめんなさい」と謝ります。ところが、過ちを

犯してしまったということは、背後に自分の心の動きがあったのですから、正直に自分の心を

見るべきです。絶対主は、人の心を全て知っておられるのですから、犯した過ちを怒られる

というよりも、背後に抱いていた心を怒られるのです。だから、その部分を指摘されたら、

それを正直に認め、「考えていた思いが間違っていました」と、頭を下げなければ、絶対主

からの赦しはありません。頭だけの反省は上辺だけのもので、口先の説明や弁解は絶対主に

一つも通用しないのです。だから、絶対主に説明する必要は一切ありません。それは、自分の

心を上手に誤魔化し、かばっているだけに過ぎません。だからこそ、私たちは砕かれた悔いし

心を持って、絶対主に対して、純であるべきなのです。その心を表した人間に対して、絶対主

は決して軽んじません。たとえ罪を犯したとしても、自分の心を見つめ、自分の犯した罪を

正直に認めて、「自分が間違っていました」と頭を下げるならば、「考えを改めて行きなさい」

と言って下さり、再出発することを赦して下さるのです。私たちの地上の歩みは、絶対主に

対して正直に、純な心で誤魔化さずして行くならば、天に上げられてからも、自分の心を隠す

ことなく、へりくだって絶対主の前に出ることができるでしょう。でも地上にいるときに、

そこを曖昧にし、いい加減にしていたら、天でもその性質は表れます。なぜなら、たとえ罪から

解放されたとしても、その人の性質は、その人のものですから、天でも絶対主に悔いることに

なり、聖なる都から遠くに離れて住むことになります。


(結) だから、私たちはこれまでの生き方を変えて行くべきです。私たちは絶対主に対して

生きている者ですから、絶対主に通用する心を表して行かなければ意味がありません。

「やったなら、やった」、「間違っていたなら、間違っていた」ということを、正直に絶対主

の前に表して行くべきです。
そして、自分を誤魔化さない純粋な心を、絶対主に向けて行くの

です。
これは、私たちクリスチャンにとって本当に大切な部分です。

この
世の中では、純粋な心を表しても通じないことがあり、裏切られることもあります。

しかし、
絶対主の前には 通用します。だったら、この世に対して心を向けるのではなく、

絶対主に対して純粋な心を向けて行きましょう。たとえこの世の中で通用しなくても、絶対主

の前で通用するなら、それでいいのです。その純粋な心をどんどん磨いて行くのです。

それが、私たちにとっての努力です。どうか、私たちの地上での歩みは、これがすべてだ

ということを確信して、この生き方を始め出しましょう。 
 
         

 


 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室