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2017年10月29日

絶対主に信頼される秘訣とは何か

使徒の働き4:13~22


(起)「絶対主に好かれ、絶対主に信頼される秘訣とは何か」ということを学びたいと思います。

(承) さて、使徒達の大胆な福音宣教を見ていくと、「イエス・キリストが、十字架にかかって

死んで下さっただけでなく、三日目に甦り、今も生きておられる預言通りの救い主である」という

ことが、大胆に語られています。そこで、使徒達の話を聞き、キリストを信じて救われた者たちが

大勢増し加えられて行きました。しかしその一方で、使徒達に対して敵対心を顕わにし、彼らを

捕えて牢の中に閉じ込めるようなことも起こってきました。ところが、使徒たちはそのような目に

遭っても、決してひるむことなく語ることをやめませんでした。むしろ、
「絶対主に聞き従う

よりも、あなた方に聞き従う方が、絶対主の前に正しいかどうか、判断して下さい。私たちは、

自分の見た事、聞いた事を語らないわけにはいきません」
(4:19)と、力強く宣言したのです。

普通なら、「これ以上、祭司達に逆らって苦しい目に遭うのはごめんだ、ほどほどにしよう」と、

臆病風に吹かれてもおかしくはありません。しかし、彼らはそのようなリスクを承知の上で、

どこまでも大胆に働きを続けて行ったのです。そして、「今彼らの脅かしに目を留め、あなたの

しもべたちに、この上ない大胆さをもって御言葉を語らせて下さい。そして、あなたの聖なる

しもべイエスの御名によって、癒しとしるしと奇蹟とを行わせて下さい」(4:29~30)と、

絶対主に声を張り上げると、彼らは聖霊に満たされ、実際にイエス・キリストの御名によって癒し

としるしと奇蹟を行う者とされて、生涯、主の働きに用いられ続けて行ったのです。

(転) 実は、この使徒たちの働きは、他人事ではありません。なぜなら、私たちも、これから

やって来る終わりの時代では、彼らと同じような働きをし、同じような迫害も受けていくことに

なるからです。今はまだ、具体的な働きは始まっていませんが、これらの働きの下準備は、

これまでにずっとされて来ました。その下準備の一つは、ペテロも経験したように、
「自分自身の

力に頼ることが一切できないことを、心底思い知る」ことでした。
それは、「もし、自分自身の

力に頼る意識を持ったままで主の働きを始めて、聖霊による力を受けていたのなら、
絶対主から

頂いた賜物が、全部自分の力だと思ってしまう危険性があったから
」です。もし頂いたにも係わら

ず、誤解し、如何にも自分の力から出たかのように錯覚し、変な自信を付けることがあったなら、

簡単に悪魔の餌食になってしまうからです。
傲慢という罪は、まさにルシファーの罪と同じに

なってしまいます。
だから、私たちは、「元々人間には何の力もない」という事実を自覚させ

られ、たとえ聖霊の満たしによって賜物を受けたとしても、それはあくまでも特別に頂いたもの

であって、自分が持っていたものではないという意識
を、しっかりと、育(はぐく)んでいなけれ

ばなりません。


  そしてもう一つ、これからの働きのための大切な下準備は、「常に絶対主の側に立って物事を

考える」
ということです。自分の側で、自分中心に物事を考えて、「こうしたい。こうしていこう」

と思っても、それが絶対主の意向と合っていなければ、何の意味もありません。だから、私たちは

まず、自分自身から離れ、どこまでも絶対主の側で物事を考えて行くのです。すなわち、絶対主の

懐に飛び込み、絶対主が何を考えておられるのかを汲んで行く事が大切です。そして、「絶対主の

お考えに合わせて行こう」と、一生懸命心を使って行くのです。それを 私たちが始めたならば、

絶対主は私たちを好いて下さり、信頼して下さいます。絶対主は、そのような者に力を与え、仕事

を任せたいと願っておられるのです。使徒たちも、イエス様と一緒にいた頃は、イエス様に対して

勝手な先入観を持ち、「メシヤが死ぬはずがない」と思い込んでいましたが、聖書を読み、絶対主

の側から考えた時に、「イエス様の十字架と復活は、絶対主の計画によって、予め定められていた

ことだった」(使徒4:28) ということが、後で分かったのです。そのことが、復活の後で

見えて来たからこそ、「この上ない大胆さをもって御言を語らせて下さい」と絶対主に願い、

彼らは聖霊に満たされ、主の働きに用いられて行ったのです。


(結) 私たちも、これまでのいろいろな経験を通して、ペテロ達のように
「自分達は、生まれな

がらに罪人で、何の力もない者だ」ということを思い知り
ました。しかし、それだけではいけ

ません。これからは、
絶対主の側から物事を見て行くことを始めるのです。すなわち、絶対主の

懐に飛び込んで行くのです。懐に飛び込むことによって初めて、絶対主のお考えが分かります。

絶対主のお考えが分かったなら、そこに積極的に心を合わせて行くべきです。その心こそ、絶対主

に好かれ、絶対主に信頼される秘訣です。

どうか、一人一人がこの心を持って、これからの働きを始めさせて頂こうではありませんか。


 


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