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2017年10月22日

自己主張を砕き、ただ絶対主の意向に従って行く

使徒の働き3:11~16



(起)   使徒の働き3章12節から「自分の力信仰深さで、あの人を歩かせた」という、

「自己主張を砕き、ただ絶対主の意向に従って行く」ということを学んで行きたいと思います。


(承) さて、使徒行伝を読んで行きますと、使徒たちが、イエス様と一緒にいた頃とは随分

信仰の姿勢が違うことに驚きます。例えば、今日お読みした3章では、生れながらの足なえが、

ペテロとヨハネを通して癒されるという奇跡が起こりました。すると、それを知った人々が

大勢集まって来ました。そこでペテロは、彼らに対して「なぜこの事に驚いているのですか。

なぜ、私たちが自分の力や信仰深さで、あの人を歩かせたかのように、私たちを見つめている

のですか」
(3:12)と言いました。しかし、今までのペテロたちであったなら、むしろ

そのように見られることを求めていたことでしょう。以前の彼らは、「たとえ死ぬことが

あっても、あなたに従って行きます」と主張し、皆がそれに同意しました。まさに彼らは、

自分たちの力や信仰深さで、「イエス様に従って行くのだ」という誇りを持っていました。

ところが、使徒行伝を見て行くと、彼らの姿勢がガラッと違っていました。3:16を見ると、

「甦られたイエスをこの男が信じたことによって、イエスの御名が、この人を強くし、その

信じ仰ぐ心が、完全に癒したのです」と言って、「決して自分たちの力や信仰深さで彼を

癒したのではない」ということを、ハッキリと宣言しています。彼らがこのような表現が

できたのは、彼らの心が砕かれ、以前とは180°変わっていたからです。


(転)では、これほどまでに使徒たちの心が変わった理由は、どこにあったのでしょうか。

それは、「聖霊のバプテスマを受けたから」というのが直接の原因ではありません。

もちろん、聖霊のバプテスマを受けたことによって彼らの心が取り扱われ、そこから彼らの

働きがスタートしたということは、間違いありません。しかし、聖霊のバプテスマによって、

彼らの心が変わった、というわけではありません。実は、彼らは聖霊のバプテスマを受ける

前に大事なことを学んでいたのです。それは、ペテロが「イエス様を知らない」と三度も

言ってしまったあの経験です。あの挫折を通して、彼の正義感は完全に砕かれました。

それはペテロだけに言えることではありません。「たとえ死ぬことがあっても、私はあなたを

知らないとは言いません」とペテロが言った時、他の弟子たちも同じように言い切ったのです。

ところが、いざイエス様が十字架につけられる時が来たとき、弟子たちは皆、恐怖にかられ、

イエス様を見捨てて逃げて行きました。人間の正義感というものは、こんなにも簡単に崩れて

しまうのです。それは、人間の心の中に、恐ろしい魔物が潜んでいるからです。

その魔物とは、自分を守る心、自分を大事にする心です。言葉を換えると、自分の正しさを

自己主張する「自我」です。もし、私たちがその魔物を抱えたまま患難時代に入って行ったら、

私たちは「決して絶対主を裏切らない」と言い切れるでしょうか。「できません」。私たちも、

ペテロたちと同じように、いざとなったら自分自身を守って逃げてしまうかもしれません。

それは、666に降参することです。私たちには、その危険性があるのです。だから、

私たちは今、「自分を中心にした心、自分を誇ろうとする心」を砕き、考え方を180°変え

なければなりません。すなわち、私たちはもうイエス様によって永遠の命を頂いているのです

から、この命を自分で守る必要はありません。救われた後の残りの生涯は、この命を絶対主の

ためだけに使うのです。そうすれば、「自分を守りたい」、「自分の正しさを分かってほしい」

という自己主張は、吹っ飛んで行きます。


(結) そこでもし、「これから主の役に立つ者として仕えて行きたい」という願いがある

のなら、この心をしっかりと刻んで下さい。そして、考え方を入れ替え、「自分の主張よりも、

まず聞き従う方に、心を向けて行くこと」です。何があってもリーダーに聞き従い、御霊様に

聞き従い、絶対主に聞き従うのです。絶対に、自分の都合と損得で判断してはいけません。

すなわち、自分中心な考えで判断してはいけないのです。私たちは、イエス様の贖いの御陰で

救われ、自分の命の預けどころを知りました。ならば、もう自分自身の身を守る必要はないの

です。また自己主張をする必要もありません。
自己主張は砕き、ただ「主よ。あなたの御心の

ままに」と言って、
絶対主の意向に従って行くことが全てです。どうか、この砕かれた悔いし

心を持って、どこまでも絶対主に従って行きましょう。そして、空っぽの器に油を満たして

いただいて、使徒たちと同じように大胆に用いていただこうではありませんか。
  

 


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