ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2016年 NO.575


本気の信仰の証


日本では過去、キリストを信じるということが、即「迫害と殉教」という時代がありました。

その時代では、信じ続けて行くことが難しい時代でした。しかし、今日では信仰の自由が

保障されており、信仰によって政府から迫害を受けるということはありません。しかし、逆に

迫害がない故に、今日は信じ続けて行くことが難しい時代なのです。なぜなら、この時代は

信仰によって御利益を求めている場合が多いからです。御利益を求めることは「イエス様を

利用する」ということであり、御子の死を自分勝手に利用して御子を、自分のしもべにすること

です。しかし、キリストの救いは、人を罪から引き上げて、天の御国へ入れて下さる絶対主の

究極の奥義です。そこには、御子の十字架の苦しみが、賭っています。それなのに、それを

逆手にとって自分の御利益にしたら、これは絶対主の救いの計画を冒涜することになり、決して

天に繋がることはありません。
罪からの救いは、罪人が恵みに預ることで、当り前のことでは

ないのです。この後、患難時代という7年間の恐ろしい時代がやって来ます。その時

「反キリスト」という悪魔の親分が出現します。そして、それが世界を支配し、信じる者たちを

根絶やしにしようとします。その時は、世界中のクリスチャンたちが、皆命を懸けなければ

ならない時代になって行きます。しかし、今は危険とか恐れとかはない「生ぬるい」時代

ですから、命を懸けて信じ通すということがない時代です。ですから、「信じる」と言っても、

信じた後に、ほとんどの人が離れて行きます。自分の思い通りにならないからです。しかし、

思い通りにならないからといって、簡単に捨てれるような救いではありません。私たちは、

この救いに望みを置いたのですから、「平和だ、安全だ」という時こそ、捨て身の心を持って、

本気で信じて行く必要があります。迫害のない今こそ、本物の信仰が必要な時代です。




 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室