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2016年11月13日



自分の感情を横に置き、心を白紙にして
絶対主の心を汲んでいく


使徒の働き15:1~21


(起)「自分の感情を横に置き、心を白紙にして絶対主の心を汲んでいく」ということについて、

学んで行きたいと思います。


(承) さて、この15章のエルサレム会議というのは、ユダヤ人たちがキリストを

信じるようになり、福音の恵みの中で新しく生きていこうとしていた過渡期の中で起こった

出来事です。旧約聖書のエレミヤ書31:31~34を見ていきますと、絶対主がこの後、

「新しい契約を結ぶ時が来る」と言われていました。その新しい契約とは、これまでのように、

「律法を守るならば祝福されるが、律法に従わなければ呪われる」というものではなく、

「絶対主からの一方的な恵みによって、絶対主の民となる」というものでした。そこで、

この「新しい契約の大前提」は、イエス様が完全に律法を守られた後に、「罪人が恵みで

救われる」と言うものでした。それは、イエス様が律法を完全に守り終えた後に、人間を律法の

支配から完全に解き放って下さるからです。それだけでなく、律法を完全に守られた方が、

絶対主から殺されるはずがないのに、あえて人の罪を身代わりに負うことによってその罪の

代価を払って下さり、私たちの罪の身代わりとなって下さったからです。ですから、主は、

律法を終わらせただけでなく、人の罪の代価も払って下さったのです。このように、「恵みに

よって人が救われる」という新しい契約を、絶対主はイエス様を通して実現して下さったの

です。ペテロさんやパウロさんは、この「新しい福音」を人々に宣べ伝えて行きました。

しかしながら、ユダヤ人たちの多くは、生まれてからずっと律法の下にあり、負いきれない

律法を負って来たにも関わらず、今度は自分たちが負い切れなかった律法を異邦人の首に

掛けようとして、「モーセの慣例に従って割礼を受けなければ、救われない」と言う人たちが

現れたのです。彼らのその言葉は、もはや理屈ではなく感情から出た言葉でした。彼らは、

「子供の頃から正しいと思っていた」というだけで、守っていなかったのですが、守ろうと

してきたという感情を横に置くことが出来なかったのす。だから、異邦人に求めた感情は、

「これまで守ろうとしてきた」というユダヤ人の勝手なプライドを保とうとしたからです。

だから、「守れ切れない律法だが、なお求めて行くべきだ」という感情を捨てきれなかったの

です。しかしユダヤ人であっても、「その感情を一旦横に置いて」、ペテロやパウロが語る、

「聖書の理屈をきちんと聞いた」ならば、話は十分理解できたはずです。そして、「旧約聖書に

書いてある新しい契約とは、このことなのか」と、受け入れることができたはずです。


(転) では、このことから学ぶべきことは何でしょうか。それは、「絶対主の前における

論理、聖書に基づく理屈は、感情では理解できないと言うことです。」絶対主の心を学ぶため

には、「感情的な思いは横に置くべきだ」ということです。そして、「今までこのようにやって

きた」という自分の考えを通すのではなく、それが出来たか、出来なかったかを正直に見つめ、

「感情に立って判断してはいけない」と言うことです。自分の判断が感情に基づいているのか、

理屈に基づいているのかを、よく絶対主の前に考えるべきです。そのためには、私たちの心を

一度白紙にする必要があります。それは、「感情を全部無くしてしまえ」という意味では

ありません。もし感情を人間から取ってしまったら、人間はただのロボットになってしまい

ます。感情も絶対主から与えられたものですから、それを完全に無くすことはできません。

だから、感情の用い方に注意しなければならないということです。
私たちの感情というものは、

基本的に自分の都合を優先させ、リスクを嫌います。だから、自分にとって都合の悪いことが

起こって来たり、人から誤解されるようなことがあると、感情が働いて理屈に合わない行動を

取ってしまうのです。そして、何としてでも自分の思いを正当化し、自分を守ろうとします。


そんなことをしていたら、私たちは絶対主に従って行くことができないばかりか、絶対主に

反抗心を出してしまう恐れさえあるのです。
なぜなら、人間の腹の底に反抗心という罪の根が

潜んでいるからです。
正しいと分かっていても、自分の肉の感情が「嫌だ」と思ったら、

瞬間に、それを爆発させてしまう恐ろしさを私たちは持ち併せています。それを表したら、

私たちは終わってしまいます。


(結) ですから、私たちは自分の感情をちゃんとコントロールして行かなければなりません。

すなわち、自分の感情を横に置き、心を白紙にして、絶対主のお考えを汲んで行くということ

です。
そのことは、自分が責められている時にすることです。怒られている時は、誰だって

感情が働き「嫌だ」と思います。しかし、その感情を持ったまま相手の言葉を聞いていても、

語られていることを心に留めることはできません。だから、その人は成長しないのです。

もし本当に成長したいと願うのならば、「嫌だ」と思う感情を横に置き、心を白紙にして、

相手の言葉を聞くべきです。そうすれば、相手の言っている言葉を全部心の中に留めることが

でき、そこから成長して行くことができるのです。どうか、この生き方を始め出しましょう。

自分の中にある肉の感情を爆発させたら、私たちは終わってしまいます。絶対主の前に、

それだけはやってはいけません。だから、私たちは自分の感情を横に置き、心を白紙にして、

へりくだって従って行く心を身につけていきましょう。  
 

 

 


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