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2015年 NO.514




罪深い肉を負われたイエス様


  絶対主の御子が、人間のメシア(救い主)として、預言に従ってダビデの末となる為に、

マリヤさんの肉を取って地上に来られました。その時、「絶対主は、ご自分の御子を罪の肉の

姿をもって遣わし、私たちの罪のために、肉をもって罪を処罰して下さった」(ロマ8:3、

TR版の訳より)とあります。ですから、イエス様は「罪深い肉」(新改訳ロマ8:3)を

負いつつも、罪を犯すことなく、33年間の地上の歩みを全うされたのです。「キリストは

罪を犯さず、その口に何の偽りも見出されませんでした」(第Tペテロ2:22)。

このことは、大変なことです
。私たち人間なら、罪を犯さないように一日たりとも過すことは

出来ません。なのに、イエス様は人間の罪の肉を負って贖いを全うするため、ご自分の肉を

日々コントロールして、律法を全うされたのです。そのお蔭で、罪を犯し続けて来た私たち

でさえ、「キリスト御自身が、十字架にかかって私たちの数々の罪をご自分の身体に

背負われた」(第Tペテロ2:24)ことによって、私たちの一切の罪を赦して下さった

のです。キリストの身代わりの死は、罪の裁きであるゲヘナの火から、私たちを救い出して

下さったのです。イエス様が33年間、人間の贖いの為に罪を犯さなかったということは、

大変なことです。一日たりとも気を抜くことはありませんでした。また同じ人間の肉を持つ

ことによって、悪魔の誘惑も大変なものでした。
そんなイエス様の肉の戦いがあってこそ、

私たちの身代わりを全うして下さったのです。これは、ただ事ではありません。絶対主の御子

なら、罪と戦うことは簡単だと思う人もいるでしょう。しかし、罪深い人間の肉を持っていた

ということは、本当に私たちと同じなのです。
その証拠に、唯一肉の弱音を吐かれたのが、

ゲッセマネの園での祈りです。しかし、罪を犯されることはなく、ただ「父のみこころの

ままに成さって下さい」(マタイ26:39)と従順を全うして下さったのです。

ですから、皆さん! キリストがここまでして、罪人を救うために戦いの生涯を全うして

下さったのなら、
罪人の私たちが自分の罪の責任を認めて、100%罪人であることを心の

中に入れるのは当然ではないでしょうか? 自分の身勝手な義を立てて、いかにも、自分が

正しいことをして来たかのように思うのは、はなはだしい思い上がりの何ものでもありません。


ですから、「心のバリヤを砕いて、罪人が罪人でしかないことを認める」べきです。

この位は、主を信じた者なら当然の行為ではないでしょうか?


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