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2015年7月19日


私たちの人生の目標は何か


第Ⅰコリント9:24~27




(起)「私たちの人生の目標は何か」ということについて学んでいきたいと思います。

(承) さて、この24~27節の中で、パウロさんが言いたかったことは何かというと、

「せっかく1位をとっても、失格者になってしまったら何の意味もない。だから、走るなら、

ちゃんと賞を頂くきような走り方をしよう」ということです。その走り方とは、「走る目標を

はっきりと定め、その目標を目指していく走り方」です。また、競技をする者は努力をしますが、

その努力も、目標がはっきりと定められていなければ、空しいものになってしまいます。

ですから、重要なことは、
努力をしていくための「目標」がはっきりしているかどうかという

ことです。

(転) では、この「目標」というのを、「私たちが生きて行く、人生の目標」として、考えて

みたいと思います。おそらく、この世の多くの人は、この人生の目標がはっきりと定まって

いない人が多いと思います。それは、「なぜ自分が生まれたのか。なぜ命を持っているのか」が

分らず、「たまたま親が生んだから、今生きているだけだ」と思っている人が多いからです。

だから、人生の目標を定めようと思っても、定められず、ダラダラとした生き方をすることに

なってしまうのです。しかし、私たちの命は、たまたま生まれた偶然の産物ではありません。

人間の命はたった一つの細胞から始まりますが、そのたった一つの細胞が、母親のお腹の中で

60兆個にまで増え広がっていきます。その増え広がっていく時に、ある細胞は目の方に、ある

細胞は鼻の方に、ある細胞は骨を造るために・・・と特化して行き、人間の体を形造って行きます。

それは、いったい誰がその指示を出しているのでしょうか。もし、細胞自身が勝手に動き始めた

なら、目だけの人間、頭だけの人間になり、お化けのような人間となって生まれてきてもおか

しくはありません。しかし、生まれてくる赤ちゃんは皆同じ人間の構造を持って、ちゃんと

整えられた身体をもって生まれてきます。これは、絶対に偶然ではあり得ません。また最近は、

人間の細胞について詳しく調べられ、細胞の核の中には設計図が入っているということが明確に

なりました。そこに設計図があるということは、情報をインストールした方がいるということ

です。この設計図を考えた方がいるということは、人間以上の知的なお方であることは当然の

ことで、絶対主以外にありません。もし、私たち人間が、この絶対主によって造られたという

事実を無視するならば、自分が何のために生きているのかが分からなくなり、単に勝手に沸いて

来たボウフラになってしまいます。もちろん、ボウフラも勝手に沸いて来ることはありません。

 ですから、
私たちの命の親である、絶対主に与えられた命であることを抜きにして、人生の目標

を定めることは、絶対にできません。ですから、全ての人間は、まずこの土台の上に立ち、その

上で、人生の目標を定めるべきです。その人生の
目標とは、「私の命を造ってくださった絶対主

のもと(天の御国)に帰ること」です。
私たちは、この天の御国を目指して努力をしていくの

です。
この地上では、時には忍耐し、苦労を味わい、辛い試練を通ることもあるでしょう。

しかし、それらの忍耐、苦労、試練が、天の御国に繋がっていくためのものであるなら、

それは非常に価値のある地上の努力となります。


(結) これまでの私たちは、「自分にとって損か得か」という損得勘定で生きて来た人生です。

そして、すべてのことを自分の損得で決めてきました。でも、自分の命を造ってくださった

絶対主がおられることを知り、「この絶対主に対して生きる」という目標が定まったのなら、

もう自分の損得勘定で決めずに、「絶対主の前で、これは正しいか正しくないか」ということを

考えて、選択して行けばいいのです。この損得勘定を抜きにして選択することは、普段から、

「何もかもそうしていきなさい」と、律法的に言われているのではありません。例えば、ジョージ

・ミュラーさんは、確かに損得勘定抜きで絶対主に従う道を選んで行った人です。しかし、

朝起きてから寝るまで、一回も損得勘定を持たなかったのかというと、そうではありません。

彼は、その時々に従って、イザという時には、絶対主の前に損得勘定から離れて選択をし、

歩んで行った人です。これが、空を打つ拳闘をしないミュラーさんの生き方でした。私たちが

この地上でしていくべき努力は、ここにあります。これが、私たちクリスチャンの生き方です。

どうか、私たちの命を造ってくださった絶対主に心を向け、絶対主がおられる御国に目標を定め、

絶対主の御心にある生き方をして行こうではありませんか。

 


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