教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室


2015年11月15日


「絶対主を第一として生きるために」


使徒の働き16:6~34




(起)「絶対主を第一にして生きていくために、どのような意識を持っていけば良いか」という

ことについて、学んでいきたいと思います。

(承) さて、パウロさんは、「アジアからヨーロッパに渡って、伝道の働きを広げていくよう

に」と御霊に導かれ、ヨーロッパの異邦人伝道を始めて行きました。異邦人伝道といっても、

異邦人だけに福音を語るわけではなく、最初のうちは、異邦人の地あるユダヤ人の会堂に入って

彼らにも語っていました。当時、ユダヤ人は律法一辺倒でしたので、「律法によることなく、

イエス・キリストによって救いが与えられるのだ」という話は、異質な話でした。

だから、ほとんどのユダヤ人は、パウロさんの話を聞いても理解せず、伝道の成果は出ることが

ありませんでした。しかし、ピリピの祈り場でパウロさんが語った時には、ルデヤという婦人の

内に絶対主が働かれ、彼女と彼女の家族はバプテスマを受けました。これは「主は彼女の心を

開いて、パウロの語る事に関心を寄せるようにされた」(14節)とあるように、絶対主による

御業です。主が彼女の内に働きかけて信仰を与え、一方的な主の働きによって成果が出たのです。

このように、いつも主の業による成果が出ればいいのですが、そんなに都合よく成果は出ません。

(転) では、次は16節から見て行くと、ここでは、ルデヤの記事とは全く逆の出来事に

ついて書かれています。場所は、先程と同じピリピの祈り場ですが、そこに占いの霊につかれた

女奴隷がいたのです。この女は、パウロさんが語ろうとする時にいつも邪魔をするので、パウロ

さんも困り果てて、仕方なくその占いの霊を退けました。すると、女の占いで金儲けをしていた

主人が怒り始め、長官の所にパウロさんを引き連れて「この者たちは、私たちの町を掻き乱して

いる」と言って訴えました。すると長官は、パウロさんたちを鞭で打つように命じ、牢に閉じ

込めました。パウロさんたちは、上着を剥ぎ取られ、鞭打たれて、獄に入れられてしまったの

です。もし、私たちもこんな目に遭ったら、「こんな惨めな牢に閉じ込められたら、お仕舞いだ。

もう、伝道が出来ないじゃないか。なんで絶対主は、こんな目に遭わされるのだろう」と、落ち

込んでしまいます。しかし、パウロさんたちは、そのような不平不満を一つも表しませんでした。

むしろ、祈りながら、牢の中で絶対主への賛美を繰り返し歌っていたのです。実は、この心こそ

が、絶対主を信じていく私たちの大切な心です。この記事を見ても分かるように、
主の取り扱い

というのは、必ずしも良いことばかりではありません。
ルデヤの時のように、一方的に絶対主の

力によって事がなされた場合には、「絶対主ってすごいな」と感激する時もあれば、絶対主を

信じて、絶対主の御心のために働いているのに、
なんでこんなどん底まで落とされるのだ、

ああ、もうダメだ」と、絶望感を覚える時
もあります。時には、「もう絶対主から見捨てられて

しまった」と感じることもあるかもしれません
しかし、それでも私たちは絶対主に信頼し続け

いくのです。なぜなら、私たちがどんなに最悪パターンに陥ったとしても、
絶対主はいつも

天からすべてを見ておられます
絶対主の知られないことは一つもないからです。だから、

たとえ自分の思い通りにならなかったとしても、私たちは焦ってはいけないし、イライラしては

いけません。むしろへり下って、パウロさんたちと同じように、その状況を受けとめ、たとえ牢

の中でも、賛美していく心が大切です。もし、何でもかんでも祈りを叶えてもらえるとすれば、

すべてが自分の思い通りになり、私たちはそのうち、絶対主を自分の道具にしてしまいます

それは、人間が絶対主に対して、対等意識を持つことになり、それはルシファーと同じ裁きを

受けることになります。それは何よりも怖いことです。


(結) ですから、私たちがいつも絶対主に対して持つべき意識は、やはり、へり下りです

そして、「主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」と、この御言葉に立って、たとえ自分が

行き詰まり、どうにもならない苦しい状態に置かれたとしても、「絶対主はすべて分かっていて、

このことをしておられるのだ」という理解を持って、受けとめていくことです。そして、
「もし

絶対主のお考えでしたら、たとえこの命を閉じることがあっても、あなたに従っていきます。

あなたの御心のままに」という心を持っていくことです
たとえ命を閉じることがあったとして

も、最後には絶対主が勝利をとられます。私たちは、その絶対主に信頼し、全部お任せすれば

良いのです。これが、絶対主を第一にして生きていく生き方です。どうか、この大切な意識を、

日々の歩みの中で持って行こうではありませんか。


 


 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室