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2014年9月7日    



イエス様に繋がって生きていく



マタイの福音書4:1〜11



(起)「イエス様に繋がって生きていく」ということについて学んでいきたいと思います。

(承) さて、イエス様が荒野でサタンの試みを受けられた記事を見ていくと、イエス様は実に冷静

に対処しておられることが分かります。イエス様は、マリヤを通して私たちと同じ肉をお持ちになら

れました。そのことはサタンも知っています。ですから、サタンはその部分を狙って、かなり挑発的

に仕掛けてきました。サタンは四十日四十夜断食をし、肉体的に弱っておられるイエス様に対して、

「絶対主の子どもなら、この石ころをパンにするぐらい、朝飯前だろー。」「お腹が空いているなら、

今食べたらいい。」と言って、絶対主の子が肉体を持っていることに挑発しています。

これは、贖い主としての人の子の計画を妨げる挑発です。ですから、「お前が絶対主の子なら、

何でもできるだろー」と言って人の子の立場を崩そうとしているのです。だから、イエス様は、

絶対主の子として身分を用いませんでした。人の子として来たことの証しを立てるために、絶対主の

全能の力で立ち向かったのではなく、人の子として冷静に立ち向かわれました。イエス様が絶対主の

力を用いれば、人の子として来た贖いの目的が妨げられます。確かにイエス様は私たちと同じ人間の

肉を持っておられましたので、もし肉の正義感だけでサタンに立ち向かえば、サタンの挑発に乗って

敗北していた可能性もあります。ですから、肉の正義感ではなく、人の子として御霊の力で戦われた

のです。即ち、人の肉を担いつつも、絶対主の子の霊で冷静に対処されたのです。このことは、私たち

クリスチャンの模範でもあります。私たちが、幾ら自分の肉の正義感を働かせても、肉では敗北する

だけです。だから、内住される御霊によって対処していくべきです。肉の力では、サタンに立ち

向かうことはできません。このことを分からせるために、イエス様は、山頂の垂訓で肉に頼ることの

出来ない私たちの姿を明らかにされ、御霊による歩みを明らかにされたのです。

それは、
肉で戦おうとするなら、肉の強がりや、傲慢、損得、いろいろな思いによって、サタンの

罠にはまる可能性があるからです。肉の力では、サタンの試みに負けてしまう可能性が大なのです。


(転) では、5章から語られた山頂の垂訓を通して、私たちはどのような心を持つべきか、見て

いきましょう。例えば22節を見ると、「『馬鹿者』と言う者は、誰でも火の燃える地獄の中に投げ

込まれます」とありますが、「馬鹿者」というのは、私たちの心の中から自然に出てくるものです。

この思いを、自分自身の内側から完全になくすことが出来るでしょうか? また、5章の最後には、

「あなた方の父が完全なように、あなた方も完全な者となりなさい」とあります。絶対主の前に、

私たちは完全な者になれるでしょうか。不可能です。ですから、ここでイエス様の語られている

真意は、自分の肉の力で戦うことは「諦めろ」ということです。
私たちは、アダムの子孫として、

生れながらに罪を持ち、その罪をいつも肉体を通して表しています。そんな者が、肉の行いに

よって、絶対主に認められる完全な者になれるはずがありません。私たちの生れながらの罪深い

肉は、何の役にも立ちません。では、どうすればよいのでしょうか?私たちは、イエス様の御名に

よって戦うのです。なぜなら、イエス様は御子として、肉を持っておられましたが、肉に働く

サタンに対して御霊によって勝利されたからです。ですから、私たちも、この御霊によって、

サタンに立ち向かうのです。自分の肉の力で戦うことはできません。この肉で義を表すことも

出来ません。私たちの霊は、死んでいたからです。だから、イエス様を信じることを通して

御霊を頂き、その御霊様を通して戦わなければ、どうにもならない者です。このことを認めて、

イエス様の命の側に入った者は、イエス様の御名を使わせていただいて、サタンと戦うことが

出来るのです。イエス様から離れて、自分自身の肉の力だけで勝負するなんて、絶対にありえ

ないことです。ヨハネの福音書に、「わたしはぶどうの木で、あなた方は枝です」とある通り、

もし枝である私たちが、ぶどうの木であるイエス様から離れたら、枝には何の力もありません。

しかし、もし繋がっているなら、農夫である絶対主が栄養を与えて下さり、そこに実をならす

ことが出来るのです。


(結) ですから、私たちにとって一番大切なことは、このイエス様と繋がっていくこと

です。私たちは、山頂の垂訓も、守らなくちゃいけないと思っていましたが、

肉の力では、決して守れるような者ではありません。
このことを認めて、イエス様により頼むなら、

「あなた方は自分の力では何も出来ないでしょう。だから、わたしの所に来なさい」と招いて

下さるのです。なぜならイエス様は、人間と同じ肉を取ってこの地に来て下さり、人間の肉の弱さ

を知って、こんな私たちに御霊を下さいました。それは、人を、その罪から救うために、罪の代価

を差し出して下さったからです。ここに福音があります。

「もし、罪人が義人にならなければならない」というのであるなら、それは福音ではありません。

「自分は罪人で、それ以外何も出てこないのです」と認めた者こそ、イエス様からの救いをいただ

けるのです。病気を自覚した者だけが、医者を求めるからです。

そして、イエス様は「それで良いのです」と言って下さるのです。

どうか、この真理に目覚めて下さい。そして、私たちはこのイエス様の中にあって、生きて行こう

ではありませんか。 



                                      

  
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