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2014年7月20日     



聖書に基づく男と女の立場



第Tコリント11:1〜16


(起)人が主に仕えていく本来のあり方を、「聖書に基づく男と女の立場」について学びながら、

考えていきたいと思います。


(承) さて、私たちの教会では、空っぽの器に油が満たされる事が示され、皆が「悔いし砕かれた心」

を持つことを願って来ました。しかし、本来ならば、その世界に入りやすい筈の女性が、なかなか

素直に心を開くことが出来ずに、そこに至れないということが起こってきました。

もともと女性というのは、「控えていくことが女性の立場としてふさわしい」ということが、生れながら

に分かっている筈なのですが、イザとなると、なかなか控えるということは難しいのが現実のようです。

それは、表面的に控えるのではなく、絶対主の前に、心からのものでないと受け入れられないからです。

絶対主は、外面の装いではなく、その心からの思いを見られるからです。「悔いし砕かれた心を持つ」

ということは、男性も女性も同じです。しかし、女性は、創造の目的からアダムの助け手として

造られました。ですから、女性の方がその世界に入りやすいと考えていたのですが、現実はそうでは

なかったのです。では、その原因はどこにあるのでしょうか。それは、今の時代は男女平等で、男も女

も区別はなく、学校でも同じ勉強をし、同じように自分の頭を使って物事を考え、判断し、決めていく

という対等の中にあります。この生き方を生れながらに教え込まれてきたのですから、今更「すべての

女の頭は男です。」(Tコリント11:3)と言われても、心が付いていきません。しかし、男性が

上に立つリーダーとなったならば、女性は従わなくてはなりません。立場としては、上に立つ者に

協力して行く、助け手の立場です。しかし、その助け手が、「自分で考えて、自分で判断をして

いきたい。」という気持ちを持っていたら、両方の考えがぶつかり合ってしまい、そこに協力など

生まれるわけがありません。これが、現在の世の中の状況です。


(転) では、聖書には何と書いてあるでしょうか。まず3節を見てみると、「すべての女の頭は

男であり、男の頭はキリストであり、キリストの頭は絶対主です」と書いてあります。

そして、4節からは被り物について記されていますが、「男が祈りをしたり、預言をしたりする時は、

被り物を被る義務はありません。しかし、女は被るべきです」ということが書かれてあります。

これはどういうことかと申しますと、男が被り物を被ってしまうと、男の頭であるキリストの栄光を

被(おお)ってしまうことになりますから、男は被り物を被るべきではありません。

ところが、女は被り物を被ることによって、「自分には栄光はない。自分の上に、自分の栄光を

表すことを抑えている権威がある」ということを表さなければならないのです。
言葉を換えるならば、

「権威に服しているということを表さなければならない」ということです。そして、8〜9節を見ると

「女が男から造られた」とあるように、女は、絶対主から直接造られた者ではなく、どこまでもアダム

から出ている者にすぎません。ですから、「女が男を越えてはならない」ということがここに書いて

あるのです。それが、男と女が造られた創造の秩序であり、絶対主の御心です。女は男の助け手として

造られたのですから、男をフォローし、助けて行く協力者にならなくてなりません。

しかし、「従いなさいとか、服従しなさい」と言うことは、それは、「自分の能力、知恵と知識を一切

使ってはならない。何も考えず、言われることだけやりなさい。」ということではありません。

助け手ということは、自分の上に立つ頭が、どのような考えを持って、何をやろうとしているのか、

ということを理解し、そのことを助けるために「自分の持っている能力を精一杯遣って、全力で協力し、

能力を全部使い尽くしフォローしていく」べきです。今までは、男と対等に勉強もしてきたでしょう。

しかし、「助け手として仕える」という使命が与えられていることが分かったなら、もう対等ではあり

ません。そして、今まで培ってきたいろいろな知識を、自分のために使うのではなく、仕えようとする

相手のために使っていくべきではないでしょうか。


(結) このことは、男性も同じです。自分の頭であるイエス様に、今まで培ってきたいろいろな

知識を、自分のために使うのではなく、仕えようとするイエス様のために使っていくべきではない

でしょうか。また、女性というのは、どこまでも自分の頭(男性)に仕えていく者です。

今までと同じように、自分の考えばかり主張していては、助け手として仕えていくことはできません。

そのような者は、イエス様から退けられてしまいます。

それは、男性も同じです。男性の頭はイエス様ですから、イエス様に対して従っていこうとする時に、

言われたことをそのまま受け止めていかなければ、イエス様から退けられます。
私たちは、自分の我を

表すために生かされているのではなく、主に仕えるために生かされているからです。このことが

分かったら、自分自身を「砕いていく」ことが当然になっていくでしょう。
そして、私たちは、

男性であっても女性であっても、従っていくために自分の能力を使っていくのです。この能力という

のは、学校で学んだ知識だけではありません。生まれながらに、それぞれに主から与えられた能力が

あります。その能力を、主に仕えるために使っていく、その生き方を始めていきましょう。  



                                      

  
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