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 2014年2月16日 





『苦しみちゃんで丁度』



Tテモテ3113




(起)「クルシミチャンで丁度」ということについて学んでいきたいと思います。


(承)さて、パウロが書き送ったテモテへの監督の条件を読んでいくと、「自分には

この条件が当てはまらないので、このように求められたら、自分には到底できないな」と

思ってしまいます。また、ペテロの手紙にも、「あなた方は、従順な子どもらしく、

以前の無知であった時の、数々の欲望に影響されてはいけません」
(Tペテロ114)とか、

「わたしが聖なる者であるから、あなた方も聖なるものでありなさい。」(Tペテロ1:16)

というような、高度な内容もたくさん書かれています。しかし、先週も学んだように、

私たちは生まれながらにアダムの子孫として反逆の精神を持っています。

ですから、こんなものを抱え込んでいる人間が、「私は従順に従います」と言えるで

しょうか? 絶対に言えません。私たちは、「イエス様を信じれば新しい人間になれる」と

思ってイエス様の救いを受け取りましたが、それでも何も変わりませんでした。すると、

「イエス様を信じても、やっぱり自分はだめな人間か」となり、クルシミチャンになって

しまいます。
もしくは、聖書に書いてある通りにやっていけないにもかかわらず、いかにも

やっているかのように見せかけ、「自分は悪くない。自分は正しい」と思い続けていく、

偽善者となるのか、どちらかです。


(転) では、そのような中で、私たちクリスチャンは、どのような生き方をしていけば

良いのでしょうか?まず今日、私が皆さんにお話ししたいことは、クリスチャンは

「クルシミチャンで丁度だ」ということです。
何故そのように言えるかと、言いますと、

実は、今週私たちは五島に行く事になりましたが、「今回は、ずっとイエス様を信じ続けて

きた、とうい人ではなく、あまりにも激しい拷問に耐えきれず、その信仰を通すことの

できなかった人たち」のために祈りに行きます。彼らは、踏み絵を踏んでしまった人で

あったり、仏教徒を装ったりして、隠れて信仰を守ってきた人たちです。しかし、その後で

彼らは後悔し、悩み苦しみ、ずっとそのことを悔いて悔いて生涯を終えた人たちです。

キリシタンの人たちは、「死んだ後には復活し、永遠の命が与えられるんだ」と信じて

いました。しかし、その確信を最後まで持ち続け、どんな拷問にも耐えていく強い心を、

みんながみんな持っていたわけではなかったのです。しかしイエス様は、「それでも良いん

です。わたしは彼らを御国へ招きたいのです。彼らは聖なる都ではありません。諸国の民

ですが。」と仰しゃいました。
それは、彼らの心の中に砕かれた心があったからです。

自分の罪を自覚し、その罪の故に苦しんでいくということこそ、本当に砕かれた心なの

ではないでしょうか。私は、殉教者たちのことを通して、人間は本当に弱い者で、迫害を

受けたとき、信仰を最後まで通すことが出来るとは決して言えるような者ではないと思います。

しかし、そんな情けない自分に悔いている「クルシミチャン」を、イエス様は憐れんで下さる。

ということが分かったのです。私たちも、いま現実にクルシミチャンの人生を歩んでいる

者です。決して、イエス様に対する忠誠心をビシッと表しているような人間ではありませんし、

いろんな弱さを抱え込み、罪も実際に犯している者です。しかし、私たちは、その罪に対して

生涯悩んでいく「クルシミチャン」です。でも、そこで一つ言えることは、クルシミチャンで

あるなら、イエス様の前に傲慢になるということはないということです。ですから、私たち

クリスチャンは「クルシミチャンで丁度」なのです。
さらに、今日には朗報があります。

右近さんたちとの交わりを通して分ったのですが、私たちが天に引き上げられた時には、

「もはや、罪がない世界に入る。」ということです。イエス様が教えて下さいましたが、

私たちは御国に入れていただけるだけではなく、御国では罪がなくなるのですから、

信仰の勝利者として聖なる都に入れていただくことがなくても、御国に入れていただければ、

この上ない感謝なことではありませんか。しかし、もし信仰の勇者として証しを立てきった

ならば、ペテロさんとパウロさんのように、聖なる都に入れていただけるのです。また彼らは、

それをこの地上で証しした人たちです。イエス様のことを三度も「知らない」と言って

しまったあの弱さを持つペテロさんでも、また、「自分は罪人の頭だ」と言ったパウロさんも、

信仰の勇者としてこのような勧めの手紙を書くことが出来たのです。それは、絶対主によって、

この地上でも、実際にそういう生き方を味わわせて頂いた人だからです。実はイエス様は、

「彼らと同じ事をあなた方も味わうようになる」と言って下さいました。これは本当に

すごいことです。まさに、第二コリント5章17節の御言が実現するのです。

(結) 私たちの教会は、「聖書に書いてあることは今日も起こる」とひたすら信じ、

その綺麗事の信仰を願い求めてきた教会です。ですから、イエス様は、これからそういう

ことを、私たちの教会に証しさせて下さいます。ですから、最後に皆さんにお勧めしたい

ことは、「砕かれた心、その自分の純な本心を、最後まで通していく」ということです。

その純な信仰を絶対に悪魔や人に奪われてはいけません。また自分の心から離してはいけ

ません。先ほど、「クルシミチャンで丁度」だと話しましたが、クルシミチャンであった

としても、私たちはこの地上にあって、純な本心を通していくのです。ペテロさんやパウロ

さんがその道を通ったように、私たちもその道を通っていくことが出来るはずです。

聖書に書いてあることは今日も起こりますから。
 ただ、それだけを願ってここまで来た

のですから、「その通りして下さい」と、心の内側から叫んで祈って行こうではありませんか。



                                      

  
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