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 2014年10月12日    



「空っぽの器」について





マタイの福音書26章6~13節



(起) 自分のことを求めない「空っぽの器」について、学んでいきたいと思います。

(承) さて、今日の聖書の箇所は、マリヤさんがイエス様の頭に香油を注ぐところですが、

私はここを読む度に、「よくこんな決断ができたな。マリヤさんは一体どういう心で香油を注ごうと

思ったのだろうか」と考えます。普通なら、周りの人たちを気にして、「誤解されるんじゃないか」

とか、イエス様も「迷惑がられるのではないかな」と考え、ついデメリットばかり考えてしまい、

たとえ「イエス様のためにしたい」という思いがあっても、「それを実行する勇気を持てないで

終わってしまうのではないかな?」と。もし勇気を出して、思い切ってやったとしても、イエス様

から、「それはやめてくれ」と断られる可能性だって十分ありました。このことは、マリヤさんも

察していたことでしょう。しかし、それでも実行できたのは、どうしてでしょう?きっとマリヤさん

の内に「純粋な気持ち」があって、その心がそうさせたのだと思います。


(転) では、その「純粋な心」とは何だったのでしょうか。それは、「自分自身のメリットを

求めない心」
だったと思います。マリヤさんは、決して自分の損得でやったのではなく、ただ、

「純粋な思いで、イエス様にお仕えして行きたい」という思いの表れだったのでしょう。また彼女は、

自分自身のことは考えず、純粋にイエス様に、この香油を注ぎたいという尊敬の気持ちがそうさせた

のだと思います。もともと自分のために蓄えていた高価な香油を、イエス様のために使ったという

ことは、
自分の損得を考えず、「ただイエス様のためにしたい」という、純粋な心がなかったら、

できないこと
です。ですから、彼女の中には、「人から非難されるんじゃないかな」という思い

さえも、考え付かなかったに違いありません。彼女にとって、他人の思いは、どうでもいいこと

だったのです。ですから、その心を察せられたイエス様は、使徒達の非難を制せられて、「彼女を

困らせてはいけません」と言われたのです。実は、
マリヤのこの心こそが、「空っぽの器の心」

なのです。
私たちは、これまでの学びを通し、「自分自身は罪人である」ということがよく分かり

ました。しかし、罪人であることを分かっても、余計に「自分を守りたくなる世界」があるのも

事実です。やっぱり、自分の心の中から、「叱られたくない。責められたくない」という気持ちが

出てきます。ですから、私たちはこの思いから、次のステップに進まなくてはなりません。

次のステップは、
「自分のことはどうでもいい」という、損得抜きの世界に入ることです。

この世界に入る入口は、
「まず、絶対主の国と絶対主の義を求めていこう」とする、前向きな心です。

その世界に飛び込んで行くと決断し、心の定めをすることから始まります。

この「絶対主の国と絶対主の義を求めていく」ということは、
「自分のことは、二の次でいい」

思う純粋な心であり、「人間的な損得や計算は捨てる」ということです。それが、「空っぽの器の心」

なのです。この心は、損得勘定の強い人間にとって、大きな決断です。しかし、「イエス様のために

生きたい」と思う者なら、どうしてもこの壁を乗り越えなければ、「二心」がついて回ります。

自分自身のメリットを求めている人は、たとえ「自分は罪人である」と分かっていても、それは

「空っぽの器」ではありません。空っぽの器とは、自分の損得から離れて、ただ「絶対主の国と

絶対主の義を求め」、絶対主のために生きていく世界に入ることです。

(結) 私たちは、これから絶対主のために生きていくのです。また、イエス様の御心を行って

いくのです。その絶対主とイエス様の御心とは、「残されている世界中のRUMと、この終わりの時代

に、全世界に福音を伝えていく働きです。」絶対主は、この世界の初めから終わりまで、すべてを

計画しておられ、その計画の中で、この終りの時代に生きる私たちの使命も、その計画の中に

入れていて下さいました。その絶対主のご計画に従って生きていく時、自分のためにならないこと

もたくさんあると思います。しかしそれでも、
「自分のためではなく、絶対主のための働きです

から、させていただきます」と遜っていく純粋な心が必要
です。そのためには、損得抜きに行った

マリヤさんの心が必要
なのです。そして、その働きを全うして、この生涯を閉じることができたら

最高です。しかも、マリヤさんのように、「純粋な心を持って、イエス様にお仕えした」という

思いがあったなら、どんなに価値があるでしょう。その上で、この心を持って働きを終え、

天に上げていただけたら、最高です。どうか、この願いで一生、絶対主にお仕えしていきましょう。

そして、このために、
自分のことを求めない「空っぽの器」に「油をお満たし下さい」と、

祈っていきたい
と思います。



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