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2013年 NO.478




悔いし、砕かれた心に伴う行動




 主は言われました。「誰でも、わたしについて来たいと思うなら、自分を徹底的に

否定し、自分の十字架を 負って、わたしに従って来なさい。」この十字架を負うとは、

どういうことでしょうか。十字架を負うとは、砕かれた心に伴う行動です

 例えば、アブラハムはイサクを献げました。ヤコブはベニヤミンを献げました。

これは、自分を愛する「我」が働くと、絶対できない決断です。しかし、自分の十字架

を負う覚悟をして、自分の「我を砕く」決心をしたとき、行動が起ります。

「主の御心の通りにしよう」と。これが砕かれた心に伴う行動です。 

 私たちには、必ずこうした主の語りかけがあります。しかし、多くの場合、損得の

感情が働いて無視します。自分のメンツやプライドが働くと、特にむすかしくなります。

たとえ主の語りかけがあっても無視していくクリスチャンが 多いのです。このような

人々を主は用いることはできません。もし、主に用いられたいと願うのなら、自分を

徹底的に否定して、十字架を負わなければ、主に従うことはできません。主に従う道は、

狭き門です。なぜなら損得の心を持ったままでは、主に従うことができないからです。

損得の心を持ったままで、狭き門の入口を 見たとしても、入ることはできません。

主は、私たちを取り扱われますが、「人の同意」なくして事を行いません。ですから、

この同意の心こそ必要なのです。いくら、砕かれた心が頭で分ってもそれに同意し、

砕かれた心に伴う行動をしなければ
、心を表すことはできません。この決断は、信仰の

勇気が必要です。ずるく引き延して行く人は、終わりの時に「できない」と言って泣いて

歯ぎしりするのです。




   
    



 
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