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 2013年9月22日 




『我を退ける』




 

マタイ1116





(起)「我を退ける」ということについて、学んでいきたいと思います。

(承) さて、26節のところでヨハネさんは、「あなたは『来るべきお方』ですか。

それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか」という質問を投げかけています。

ヨハネさんは、イザヤ書の中にあるように、メシヤであるキリストを迎え入れる準備をする人

でした。そこで、そのお方が、どういうお方であるのかということを、予め絶対主から

聞かされていたので、「天が開けて、聖霊が鳩のように、その人の上に下ったなら、

その方こそ、世の罪を取り除く絶対主の子羊だ」と特別に教えられていました。

ところが、彼は、その事実を、実際に自分の目で見ていたのですが、それでもこのような

不満じみた質問をイエス様に投げかけてしまったのです。それは、彼がイメージしていた

『来るべき方』と、実際のイエス様が違っていたからです。ヨハネは、「女から生まれた者の

中で一番偉大な者」と言われていましたが、彼も人間から生まれた者ですから、アダムの性質

を受け継いでいることには違いありません。ですから、「自分自身のイメージしたものと

同じでない」という疑いが、ヨハネさんの心から出てきたのでしょう。


(転) では、私たちはどうでしょうか。私たちも、救い主であるイエスキリストを信じ、

御霊の内住を受けたにもかかわらず、「自分って本当に救われているのかな」と疑ったことは

ありませんか? それは、「イエスキリストの救いに預かれば、もう罪を犯さない人間に

変えられていくんだ」と勝手に期待したからです。しかし、現実は何も変わりませんでした。

ただ、御霊の内住だけでした。しかし聖書には、「御霊の承認を受けているのだから、

それでいいんだ」と書いてあります。ですから、そのことをそのまま事実として受け止め、

喜んでいくことが出来るなら、それで良かったのですが、私たちは、聖書に書いてある約束を

単純に受け止められず、現実離れしている立場を単なる文章として読むだけで、「確かに

そうだけど…」と不満を抱いてしまいます。これは、間違っています。

私たちは、「聖書に書いてあることは、まさにその通りだ。だからそのまま信じていいんだ。

絶対主が語っておられることは生きた言葉なんだ」ということを、そのまま信じて行動に表し、

確かめていく、そういう生き方をしていかなければなりません。それは、聖霊のバプテスマ

を受けたら出来るというものではなく、むしろ、信じた者であるならば皆、そのようにして

いくべきです。イエス様の御言葉をそのまま 受け取り、その通り信じて、行動を取って

いくのです。そのために必要なことは、自分自身の我を退けることです。もし私たちが

「我」を退けなかったのならば、逃げたり、不満を抱いたり、手をつけておきながら

イエス様を無視して働きを辞めてしまったり、後ろを振り向いたりしてしまいます。

この「心の奥底にある我」を自分自身が許すなら、私たちは絶対にイエス様のお役には

立ちません。ですから、これからの働きのために、自分自身の「我」を退けていくことが

絶対に必要なのです。私は、「捨てる」ではなく、「退ける」と言います。

なぜなら、「捨てる」と言うと、もう我をなくしてしまうような気になりますが、私たちの

我は死ぬまでなくなりません。ですから、私たちは、度ごとに「我」を退けていかなくては

なりません。それは、殉教者たちも同じでした。十字架にかけられて処刑される時、

そこに行くまでの間にどれだけ我が働くでしょうか。「嫌だ。怖い。逃げ出したい」という

思いが出てきます。しかし、彼らは、その度ごとに我を退け、そしてイエス様の側に立つ

ことを選択しました。彼らは後悔していません。自分の決断だからです。私たちは、義務感で

殉教するのではなく、自分がそうしたいからするのです。それが心であり、その心が殉教へ

と至らせるのです。
イエス様は、真実な私たちの殿ですから、このイエス様に命を懸けていく

価値があります。イエス様は、私たちのために命を懸けて下さった、本当のお殿様です。

私たちは、この本気のお方に対して、自分自身の心と体で信仰を表現していくのです。

(結) 私たちの教会は、20年前に「空っぽの器に油が満たされる」ということを求めて

再スタートを切りまし た。そして、今行き着くところまで来ました。おもだった者たちが

去って行き、取るに足らない者たちが残されま した。しかし、イエス様は、本気で「我」

を退ける者たちを残し、その者たちを一から使って下さるのです。

 私たちは皆「我の塊」で、我を持っていない人間は一人もいません。しかし、いざ、

イエス様の前に出たな ら、自分の「我」を、サット退け、イエス様に心を向けて従っていく

生き方をしていくのです。これをスタートさせましょう。そして、本気でイエス様に

懸けて従い通し、御言葉通りの真実なイエス様を、証しさせて頂きましょう。




                                      

  
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