『私たちの体は聖霊の宮』
第Tコリント6:19〜20
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(起)「私たちの体は聖霊の宮である」ということを学んでいきたいと思います。
(承) さて、私たちの教会は、「聖霊のバプテスマが注がれることによって、働きが
始まっていく」と言われています。初めは、「教会全体に同時に聖霊のバプテスマを与える」
という絶対主の御心がありましたが、絶対主の今のお考えは、「まず牧師から」ということです。
イエス様がおいでになりますから、私たちは、そのための雰囲気をつくっておかなければ
なりません。イエス様は、私たちが、イエス様をお迎えする心、霊的な心、待ち望む心を持って
いないと「入りづらい」と言われます。では、その雰囲気をつくっていくにはどうしたら
良いでしょうか。
それは、まず自分自身が、「聖霊さまの取り扱いを受けながら、メッセージを聞くことが
できるように」と、願っていくことです。なぜなら、私たちのこの体は自分の体ではなく、
聖霊の宮だからです。(19節)聖霊の働きを無視するような体では、未信者の体と同じに
なってしまいます。
ですから、私たちは、「自分たちの中には聖霊さまが宿っている」という明確な自覚を持つと
同時に、その聖霊さまの声を聞いて判断をしていくことが必要です。それをしていかなければ、
自分の肉の判断と勘で生きていくことになってしまうからです。
(転) では、その肉の判断は、正しくされていくものなのでしょうか。そうとは言えません。
例えば、男と女についてですが、昔は、「男女は平等であるけれども、同権ではない」と聞いて
きました。しかし、聖霊さまに聞いてみると、「平等でも、同権でもありません」と言われました。
女性が、男性を助けていきます。
このように、男性には男性の働き、女性には女性の働きがあり、男女は平等でもなく、同権でも
なく、同等でもないのです。同権意識、平等意識というのは、人間が考えたものであって、
絶対主のお考えではありません。絶対主は、男と女をそれぞれに創りました。ですから、
それぞれの役目が違うのです。人間の物の見方、考え方が全て正しいと思ったら大間違いです。
ただし、天における報いは、男であっても、女であっても、その人の100%の自由意志による
信仰にかかっています。天では、男も女もみな、御使いのようになるからです。
しかし、この地上では、それぞれの立場において絶対主への仕え方が違うのです。
私たちは、聖書を通して真理を見ていくべきです。しかし、すべてのことが聖書に書いてあるわけ
ではありません。いくら聖書を読んでも分からない世界もあります。そこで、私たちの内に
いらっしゃる聖霊さまに聞くべきです。それが、絶対主の御心の中に立って考えていくと
いうことです。分からないことは、聞いていけば良いのです。聖霊さまは、「あなたが聞く心を
持つなら、わたしはいつでも語ります」と言って下さっています。
ですから、聖霊様の声を聞くときには、まず「そのまま聞きます。自分の思いを全部退けます。
まず、あなたのお考えだけを全部語って下さい」と言って聞くならば、必ず語ってくださいます。
聖霊さまは、私たちのことを愛して下さっており、私たちとの霊的な交わりを願っておられます。
ですから、私たちが御霊の声を聞こうとすることは、聖霊様の一番願っておられることです。
知識だけの世界で真理を見出そうとすることは、霊的なものを省いてしまうことで、宗教改革以後に
起こって来た弊害です。しかし、今私たちは、聖書の語る霊的な部分を正しく汲み取り、真理が
見えるようにされて来ているのです。
(結) これからの私たちの働きのために、宣言をする男性の仕事と、レーダーをする女性の
仕事が必要になってきます。その霊的な仕事に携わりたいと思われませんか? そのためには、
賜物が必要です。しかし、一瞬のうちに賜物が与えられて、できるようになるというわけではあり
ませんから、もちろん訓練も必要ですが、皆さん、貪欲に求めていきましょう。そして、絶対主に
使っていただこうではありませんか。私たちの体は聖霊の宮です。ですから、私たちには聖霊さま
が住んでおられると言う事実をはっきり自覚して、いつも、御霊の導きの中に歩んでいきましょう。 |
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