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 2013年6月2日 





『イエス様だけに頼って』




ガラテヤ21521




(起) 「イエス様だけに頼って生きていく」、ということを学んでいきたいと思います。

(承) さて、15節に、「私たちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではあり

ません」とありますが、ユダヤ人というのは、特別な選びの中にあり、創造主から直接言葉をいた

だいています。ですから、彼らにとって、創造主からいただいているこの律法を持って、その中に歩ん

でいるということが、誇りでした。そして、「自分たちはそういう教えを持っているから正しい」

という思いがありました。

 ところが、パウロさんは、イエス様と出会い、改めて旧約聖書をよく読んで、初めて「皆罪人であり、

義人は一人もいない」ということを知ったのです。ですから、16節から「人が義とされるのは、律法の

行いによるのではなく、ただ、キリストを信じる信仰によることを知って、私たちもキリストを信じた

のです。」と言っています。

 同じように、私たちもすべて罪人です。もし私たちが罪人でなかったら、イエス様が来る必要はあり

ませんでした。イエス様が来て下さったのは、私たちのような、どうしようもない罪人を救うためです。

創造主は、ご自分の御子を人間の罪のために身代わりにし、本来人間が受けなければならない罰を、

全部イエス様に引き受けさせました。ですから、私たちもキリストによって共に死んだのです。

しかし、「今、私たちが肉体にあって生きているのは、創造主の御子を信じ仰ぐことによって、

生きているのです。」(20節)とあるように、信じたクリスチャンたちも、この地上にあって自分に

頼ったり、イエス様以外の人に頼ったりして生きていくのは間違いです。ただイエス様だけに頼って

生きていくのが、クリスチャンの正しい歩みです。


(転) では、それを邪魔するものは何でしょうか。云うまでもなく、この私自身です。

「イエス様に頼って生きていけばいいんだ」と知っていながら、そうしない私自身の肉があります。

イエス様を信じても、生まれながらの罪人の自分に変わりありません。こんな私たちが創造主に持って

行けるものは、100%罪人である自分だけです。しかし、創造主はそれで「良い」と言われます。

私たちは何もない。何もできない。創造主の助けなしには何もできません。それでいいのです。

創造主の側に立って考えてみて下さい。私たちが、「これをしました。あれをしました」と言えるなら、

ご自分の御子を十字架につける必要はありませんでした。しかし、現実は「義人はいない、ひとりも

いない」のです。だから、創造主は御子を遣わされました。だから、私たちが、「これをしました。」

と威張って天国へ行くことはできません。
創造主の方が、御子を差し出して人間を贖い、救おうとして

下さいました。そこまでして下さった創造主が、「何かお土産を持って来い」と言われるでしょうか?


また、それと引き替えにして、お許し下さるのでしょうか?いいえ違います。
私たちが持って行くこと

ができるものは、何もなく、ただ罪だけです。
ですから、「へりくだった、砕かれた悔いし心」を

持って行くだけです。
そのとき、創造主は、「それでいいのです。」と言って下さいます。

ですから、私たちが砕かれた悔いし心を持つのは当然です。「自分に頼らなかったら生きていけない。

創造主だけに頼って生きて行ったら自分を守れなくなる。」と考えるのは、絶対に間違っています。

私たちは、創造主の御子を仰ぐことによって生きて行けるのです。ですから、自分ではなく、

キリストに在ってのみ生きて行くために、キリストから力を貰う必要があります。

それは、間違いなく砕かれた悔いし心を持って、聖霊のバプテスマをいただくことです。

なぜなら、聖霊にバプテスマによって力を受けるからです。しかし、なお自分自身を立てて、自分を

守っていくようでは、へりくだって求めることはできません。すると、創造主だけに頼って生きて

いくことができなくなります。自分の力と、創造主の力を混ぜ物にして生きて行くことになります。

主は、私たちに御霊によって歩みなさい。と言われます。ですから、御霊の促しに同意して生きていく

のです。聖霊さまは、「御霊の油によって、わたしがあなた方を用いて、世の終わりまで栄光を

表します」と言って下さっています。ですから、私たちがへりくだりの心を持ち、創造主が与えて

下さる力によって、死に至るまで忠実に従っていくなら、私たちでさえ聖なる都エルサレムに入れて

もらえる可能性があるのです。クリスチャンは、患難時代を通ることが福音書に明らかにされています。

「荒らす憎むべき者」の出現の後で、イエス様の再臨があることが明白です。ですから、その時まで、

目を覚まし、砕かれた心を持って最後まで、自分の命をも惜しまずに従い通していくのです。


(結) 我々にあるのは罪と恥だけです。言い逃れできるものは一つもありません。

だから、ただ「イエス様だけに頼って生きていく」のです。こうして、今無条件にへりくだって、

「我」を全部捨て去って行くなら、御霊にあって生きて行く道が、私たちの歩みになります。
そして、

約束どおり聖霊の力をいただいて、力強く証して行けるでしょう。この生き方がクリスチャンの最高

の生き方です。



                                      

  
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