(起) 「イエス様だけに頼って生きていく」、ということを学んでいきたいと思います。
(承) さて、15節に、「私たちは生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではあり
ません」とありますが、ユダヤ人というのは、特別な選びの中にあり、創造主から直接言葉をいた
だいています。ですから、彼らにとって、創造主からいただいているこの律法を持って、その中に歩ん
でいるということが、誇りでした。そして、「自分たちはそういう教えを持っているから正しい」
という思いがありました。
ところが、パウロさんは、イエス様と出会い、改めて旧約聖書をよく読んで、初めて「皆罪人であり、
義人は一人もいない」ということを知ったのです。ですから、16節から「人が義とされるのは、律法の
行いによるのではなく、ただ、キリストを信じる信仰によることを知って、私たちもキリストを信じた
のです。」と言っています。
同じように、私たちもすべて罪人です。もし私たちが罪人でなかったら、イエス様が来る必要はあり
ませんでした。イエス様が来て下さったのは、私たちのような、どうしようもない罪人を救うためです。
創造主は、ご自分の御子を人間の罪のために身代わりにし、本来人間が受けなければならない罰を、
全部イエス様に引き受けさせました。ですから、私たちもキリストによって共に死んだのです。
しかし、「今、私たちが肉体にあって生きているのは、創造主の御子を信じ仰ぐことによって、
生きているのです。」(20節)とあるように、信じたクリスチャンたちも、この地上にあって自分に
頼ったり、イエス様以外の人に頼ったりして生きていくのは間違いです。ただイエス様だけに頼って
生きていくのが、クリスチャンの正しい歩みです。
(転) では、それを邪魔するものは何でしょうか。云うまでもなく、この私自身です。
「イエス様に頼って生きていけばいいんだ」と知っていながら、そうしない私自身の肉があります。
イエス様を信じても、生まれながらの罪人の自分に変わりありません。こんな私たちが創造主に持って
行けるものは、100%罪人である自分だけです。しかし、創造主はそれで「良い」と言われます。
私たちは何もない。何もできない。創造主の助けなしには何もできません。それでいいのです。
創造主の側に立って考えてみて下さい。私たちが、「これをしました。あれをしました」と言えるなら、
ご自分の御子を十字架につける必要はありませんでした。しかし、現実は「義人はいない、ひとりも
いない」のです。だから、創造主は御子を遣わされました。だから、私たちが、「これをしました。」
と威張って天国へ行くことはできません。創造主の方が、御子を差し出して人間を贖い、救おうとして
下さいました。そこまでして下さった創造主が、「何かお土産を持って来い」と言われるでしょうか?
また、それと引き替えにして、お許し下さるのでしょうか?いいえ違います。私たちが持って行くこと
ができるものは、何もなく、ただ罪だけです。ですから、「へりくだった、砕かれた悔いし心」を
持って行くだけです。そのとき、創造主は、「それでいいのです。」と言って下さいます。
ですから、私たちが砕かれた悔いし心を持つのは当然です。「自分に頼らなかったら生きていけない。
創造主だけに頼って生きて行ったら自分を守れなくなる。」と考えるのは、絶対に間違っています。
私たちは、創造主の御子を仰ぐことによって生きて行けるのです。ですから、自分ではなく、
キリストに在ってのみ生きて行くために、キリストから力を貰う必要があります。
それは、間違いなく砕かれた悔いし心を持って、聖霊のバプテスマをいただくことです。
なぜなら、聖霊にバプテスマによって力を受けるからです。しかし、なお自分自身を立てて、自分を
守っていくようでは、へりくだって求めることはできません。すると、創造主だけに頼って生きて
いくことができなくなります。自分の力と、創造主の力を混ぜ物にして生きて行くことになります。
主は、私たちに御霊によって歩みなさい。と言われます。ですから、御霊の促しに同意して生きていく
のです。聖霊さまは、「御霊の油によって、わたしがあなた方を用いて、世の終わりまで栄光を
表します」と言って下さっています。ですから、私たちがへりくだりの心を持ち、創造主が与えて
下さる力によって、死に至るまで忠実に従っていくなら、私たちでさえ聖なる都エルサレムに入れて
もらえる可能性があるのです。クリスチャンは、患難時代を通ることが福音書に明らかにされています。
「荒らす憎むべき者」の出現の後で、イエス様の再臨があることが明白です。ですから、その時まで、
目を覚まし、砕かれた心を持って最後まで、自分の命をも惜しまずに従い通していくのです。
(結) 我々にあるのは罪と恥だけです。言い逃れできるものは一つもありません。
だから、ただ「イエス様だけに頼って生きていく」のです。こうして、今無条件にへりくだって、
「我」を全部捨て去って行くなら、御霊にあって生きて行く道が、私たちの歩みになります。そして、
約束どおり聖霊の力をいただいて、力強く証して行けるでしょう。この生き方がクリスチャンの最高
の生き方です。 |
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