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 2013年4月7日 





『キリストに対して生きる』


       

 ヨハネ黙示録19章1〜9節



起) 人に対してではなく、イエス・キリストに対して生きて行くことを学びたいと思います。

(承) さて、今回の九州での殉教者の心について学んだことは、本当にショックでした。

ショックというのは、自分たちの信仰の心と、信仰の姿勢、つまり心の底から出てくる創造主

への感謝を普段どのように抱いているのかと、心探られたからです。私たちは、あまりにも

自分よがりで、自分中心の信仰を抱いている者なので反省させられショックでした。

イエス様を信じている事が、口だけのチッポケな感じがしたのです。ですから、口だけのもの

では無く、心の伴った行いのある信仰が現されていくべきことを痛感させられました。

今回、彼らがどのような状況下に置かれて殉教して行ったのかをもっとよく調べていくなら、

その叫びの重みがもっとよく理解できたのではないかと思います。いずれにしても、彼らの

信仰は本物であったと実感させられると共に、自分たちの信仰の乏しさを思い知らされました。

この日本に、拷問に耐えて、キリストを信じる信仰を守り通した人々がいたことを改めて

知ったことも感動です。しかも、日本における迫害は、殺すのが目的ではなく、棄教させ、

転ばすことが目的でしたから、世界でも類を見ないほどの凄惨で、えげつない悪魔的なもの

でした。それにもかかわらず、「百年でもこの責め苦をしのぎます。」と言うほどの心を、

彼らは持っていたのです。もし、「信仰を守り通さないといけない!」という義務感のような

心では殉教はできなかったでしょう。「私の命は主にお任せします。新しい命に復活できるの

ですから。イエス様の苦しみに預かれるのなら、光栄です」と、笑顔を持って十字架にか

かって行った少年の証しには、参りました。それは、彼らが本気でキリストに対して生きて

いた証しを、目の当たりにしたからです。


(転) では、イエス様に対して生きて行く生き方について考えて見ましょう。

先ず聖書から、天における報いについて見てみましょう。1節の「天の大群衆とは、殉教の

苦しみを通ってきた人々です。」彼らは、死に至るまで忠実な信者でありました。

だから、勝利を得る者として、「子羊の花嫁の用意が出来、子羊の婚姻のときが来た。」

といわれる、新天新地の中の聖なる都エルサレムに住む者たちです。彼らは勝利を得た者たち

ですから、それが彼らの報いです。彼らは、子羊の婚宴に招かれた人々ではありません。

子羊の花嫁そのものです。だから永遠に創造主と共に住む者たちで、そこから出ることは

ありません。しかしながら、キリシタンはマリヤ崇拝という混ぜ物を信じていたことを悔いて

いました。しかしそれでも、創造主は彼らの真実な信仰の心を見られました。

私たちも、勝利を得る信者として、聖なる都に入れる信者になりたいと思います。

しかし、私たちの中にも混ぜ物がいっぱい入っています。それは、教理ではなく、この地上に

あるものに望みを置いて生きていこうとする、生ぬるい信仰の心です。地上の人間に、

あるいは地上の地位や名誉や富に心を奪われたご利益信仰を追い求めているのです。

地上の幸いが救いだと思っている地上的なクリスチャンが何と多いことでしょう。

しかし、純粋な信仰とは、ひたすらイエス・キリスに望を置き、ひたすらイエス様に対して

生きていく心です。
それこそイエス様に対して生きていく生涯であり、ただ御言に信頼し、

御言通りに生きていく生涯です。私たちは、この生き方を生涯貫きたいのです。

これは殉教者の心でもあります。もし肉のために生きているなら、自分を苦しめるものに

対して反抗心を持ち棄教するでしょう。しかし、彼らはどこまでもイエス様に対して生きて

いたのです。(マルコ8:35)「自分の命を救おうと思うものは、それを失い。」


(結) 
殉教者たちは、迫害者に反発せず、砕かれた心を持ってイエス様に対して生きて

いました。ですから拷問にも耐えて行ったのです。
私たちは、「空っぽの器に油が注がれる」

からスタートしました。これが純粋な信仰に必要なものです。混ぜ物を入れていては油は

注がれません。自分の肉の優位性を保とうとする者は、反発し反抗します。イエス様に対して

生きて行くなら、肉の優位性を保つ必要はありません。私たちは、皆さんと一緒に主に

用いられていきたいと思っています。ですから、悟ってほしいのです。肉の優位性を保つ

必要はないし、我も必要ありません。主に明け渡して、ひたすらイエス様に対して生きて行く、

殉教者の心を模範として主の証しを立てていきましょう。 
           



                                      

  
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