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 2013年4月14日 





『創造主からの使命』


マルコ 31319



起) 創造主の使命を全うしていく、生き方について学んでいきたいと思います。

(承) さて、ここでは、イエス様が十二弟子を宣教に遣わす時、彼らに悪霊を追い出す権威を

与えられました。その権威というのは、単なる「権威」ではなく、「ギ」エクスーシアとは

「委託された力」という意味を持っています。ここで、権威というものについて、ひとつ例話が

あります。信号機が壊れた時、警察官がどうするか知っていますか?白い台を交差点の真ん中に

置いてその上に立ち、手信号で交差点の車を裁きます。すると、警察官は国家権威を受けてい

ますから、全ての車はその手信号に従います。しかし、その近くでたまたま事故が起きて、

警察官がその場を離れた隙に、小さな少年が台の上で手信号をやり始めたらどうですか?

たとえ小さな子供がやっていたとしても、台の上に乗っていますから、それに従わなくてはいけ

ません。不思議に、全然権威を持っていない子供でも、その台の上に乗ると、権威を受けるの

です。自分という者がどんなに情けない者でも、自分が受ける権威というものは特別なもの

なのです。私たちも、何の力もない、普通のクリスチャンですが、その権威が、最高のイエス様

の権威であるならば、これ以上の権威はありません。この権威に逆らう者は、その瞬間に

やられてしまいます。

 しかし悪魔は、最初は、人として地上に来られたイエス様に対して、「お前が創造主の子なら、

この石に向かってパンになれと言え。」と言って、馬鹿にしました。そして、最後にはイエス様を

十字架につけて殺し、大喜びしました。ところが、
創造主は、三日目の朝にイエスを甦らせ、

イエス様に全ての名に勝る名を授けられました。そして、今は創造主の右に座さしめ、全ての

支配と権威を解除して、キリストの足の下に置かれました。
ですから、今は、イエスの御名に

よって、天上のもの、地上のもの、地の下のものも、あらゆるものが膝をかがめ、イエスは主

であると告白しています。即ち、主の復活した後に、あらゆる悪霊の権威と彼らの力は打ち

壊されたのです。ですから、今悪魔は恐れています。
イエス様の勝利は復活にあり、またイエス様

の勝利の権威
を、この私たちに委託されているのです。
こんな凄い立場を、キリストと共に甦って

一つとされた私たちにも注がれているのです。この権威というのは、十二弟子だけに与えられた

ものではありません。全てのクリスチャンに与えられているものです。


(転) では、私たちはこの権威をどのように使っていけば良いのでしょうか。

それは、
創造主から与えられた使命を全うするために用います。私は、信仰の初期の頃に、

人を漁る者としての使命をもらいました。そして、今その使命に立っています。

しかし、使命に立ったからといって、その使命通りに生きてこれたかと言うと、そうではあり

ません。考えてみると、「うだつの上がらない者だった。」と思います。でも、それだから

といって、「もうやめた。」と言う訳にはいきません。もし、ここから離れたら、「自分は使命

を失った、ただの空気を吸うだけの人間」と成り下がります。ただ空気を吸って生きている

人間になってしまったら、私自身の存在の意味も価値もなくなってしまいます。それは皆さんも

同じだと思います。この教会では皆献身し、伝道者になると決心をしました。

ですから、
皆創造主の使命の中にあり、完璧な上からの権威が与えられているのです。

私たちは、その権威によって、悪魔との戦いもしていかなくてはいけません。ジョイフルの中から、

はっきりと「イエス様を信じます。」と言って伝道者になりたいと言った子供たちがいます。

しかし、最近は欠席しています。どこに原因がありますか? 家庭の反対もありますが、
せっかく

蒔かれた信仰の種を、悪魔が奪っていく
のです。私たちは、みすみすそれを見逃すことはでき

ません。だから、
子供たちの中に働く妨げの霊を、真剣に追放しなければなりません。私たちは、

これから、ひとりひとりが力強い働きをしていかなければなりません。病気を癒し、妨げの霊を

追放し、まさに、「信じる者にはこのようなしるしが伴います。」(マルコ16)と書いてある

とおり、私たちが語る御言葉には権威があるということを信じ、イエス様のよる御言葉に伴う

しるしによって、用いていただくのです。

(結) 主は、聖霊のバプテスマによって、力を与えると約束してくださいました。

ですから、力を受け、どんどん賜物をもらって、やって行こうではありませんか。私たちは、

イエス様にあって新しくされたのですから、新しい使命に燃えて、力強くやっていきましょう。

自分の望むことでなく、創造主の望まれる使命に立ち、それを、自分の第一にしようではあり

ませんか。
私たちの命の価値は、創造主の使命を全うするところにあります。皆その使命を

もらっているのですから、自分を明け渡し、砕かれた心を持って自分自身を主に献げていき

ましょう。
  






                                      

  
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