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 2013年3月17日 




『客観的に自分を見る』


ピレモン420



(起) パウロが書いたピレモンへの手紙を通して、客観的に自分自身を見ていくということに

ついて、学んでいきたい
と思います。

(承) さて、11節に「彼は、以前あなたにとって無益な者でした〜」とあるように、

オネシモは、ピレモンさんの所から逃げ出した奴隷であったようです。しかし、ローマの獄中に

いたパウロから福音を聞いて、オネシモは、変わりました。「自分は奴隷であっても、

キリストにあって自由人として生きていけるんだ。」と喜び、「もう自分の為ではなく、

キリストのために生きていきたい。」と思うようになりました。そして、パウロは、いつも

キリストを中心に物事を考えているから、自分もキリストを中心に生きて行きたいという心を

持ったのでしょう。このオネシモの心とパウロの心が一致し、オネシモは一生懸命パウロに

仕えていきました。そして、パウロ自身も、「彼は私の心そのものです。」(12節)と言って

います。
パウロとオネシモは、心と心の通い合った師弟関係を築いていったようです。

だから、パウロにとってのオネシモは、素直に言うことを聞いてくれるし、何を考え、何を

願っているのかをすぐに悟って、その通りに動いてくれる。こんなにありがたい協力者は

いませんでした。ですから、パウロは、オネシモを「有益な者である。」と言っています。

だから、自分が捕われている間、側にいて、仕えてもらいたいと願うほどでした。

ところが、パウロは、その願いをピレモンに伝えず、あえてオネシモをピレモンの許に送り

返す手紙を書いたのです。何故でしょう?本当に、ピレモンを引き留めておきたいという気持ち

があったのならば、パウロは、率直にピレモンに対して「あなたの所から逃げて来たオネシモ

は、今は回心して私の所で仕えてくれているので、なんとか彼を解放してやってくれないか!

そして、私の許で仕えることを許してやってほしい。」という手紙を書けばよかったはずです。

しかし、パウロはそのような手紙を書きませんでした。パウロは霊的に考えて、「ふと、自分の

考えは、おかしいな。」と思ったのでしょう。そのことを客観的に考えた時、「確かに、

オネシモは自分にとって有益で、良き協力者となってくれているけれども、所有者はピレモン

であって、自分のものではない。自分の中には、他人のものを自分のものにしようする、

自分中心な心が働いているんだ。」ということが見えてきたからです。

その時、悪魔はこのように囁き、罠を仕掛けてきます。「お前にとって、オネシモはかけがえの

ない協力者なんだろ。そう見つかる兄弟じゃないぞ。お前とピレモンは良い友人だから、

彼だって赦してくれるよ。そのくらい良いじゃないか。」と。しかし、その時パウロは自分の

思惑からちょっと離れて、客観的に考えたのです。すると、キリストにある心が芽生えて

きました。パウロは、それは
自分勝手な考え方だと見えたのです。キリストのためなら、

何をやっても良いという訳ではありません。そこに、悪魔の罠がありますから。悪魔は罠に

かけて、後から訴えてきます。「お前は、キリストの権威を傘に、自分の思い通りする

身勝手な人間か?」と。そこで、
パウロは、綺麗事の信仰に立ったのです。「オネシモをずっと

引き留めておきたいと思ったけれども、あなたのもとに返します。」
と、書き送ることができ

ました。

(転) さて、このパウロの信仰姿勢から、私たちも大事な信仰の心を学ぶのです。

もし、自分の考えが「おかしいな。」と思ったら、
どうしておかしいのか、外側から客観的に

考えるべきです。すると、自分の中にある身勝手な心が見えてきます。
そして、そこに働く

悪魔に向かって、「私はお前の罠にはまらん。サタンよ、退け。」とやれば、その瞬間に

自分中心な思いは消えていきます。私たちは、このように戦っていかなければなりません。

また、私たちには、何度も同じ罪を繰り返してしまうことがありますが、その時には、

当然悪魔も働いてきます。ですから、同じように、その罪の思いを客観的に、外側から見る

べきです。「また自分の弱いところに誘惑が来たな。何故こんなに強い誘惑が来るのだろう。

そうか、悪魔は自分をはめようとしているな!」と、外側から見てみて下さい。悪魔が私たちを

潰しに来ているということが分かります。しかし、悪魔の策略がどんなに巧妙でも、私たちは

もっと大きいキリストの力で潰すことができます。客観的に考えると、いつも同じ罪を繰り

返している自分は、「これはおかしいな。」と思えるでしょう。悪魔は、食い尽くすべき者を

探し求めて歩き回っています。ですから、ちょっと外側から見れば、悪魔の策略も見えて

きます。すると勝利する入り口が見つかるのです。
私たちは、いつも自分の枠の中で物事を

考え、自分中心な思いの虜になってしまいます。
しかし、それは間違っています。私たちは、

自分のために生きているのではないからです。ですから、「おかしいな!」と思ったら、

客観的に外側から自分を見ていくべきです。

(結) 私たちは、パウロの判断を学ぶべきです。この霊的な判断を持って、綺麗事の信仰に

立つのです。自分を都合良く甘やかして、その中に留まっていてはいけません。それを続ける

なら、悪魔にやられっぱなしになるだけです。もし天で見ておられるイエス様が、私たちの

そんな姿を見たら、「情けない者たちだなー。こんな者たちに祝福を注いで使えるのか。」と

言われてしまいます。創造主は、イエス様を通して油を注ぐと言って下さっているのです。

どんなにすごい立場でしょうか。ですから、
私たちは自分の我の中に留まっている暇はあり

ません。主のために役に立つ心を養っていきましょう。
 



                                      

  
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