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 2013年12月22日 






ザカリヤさんとマリヤさんを通して



ルカ12638




(起)ザカリヤさんマリヤさんを通して、「悔いし砕かれた心」について学んでいきたい

思います。

(承) さて、まずザカリヤさんについて見ていきたいと思います。彼は祭司であり、

「絶対主の御前に正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落ち度なく行っていた者」(16

と書いてあります。そんな彼の所に、ある日御使いがやって来て、妻のエリサベツに男の子が

産まれると御告げがありました。二人はずっと長い間、子供が与えられるように願っていました

から、本来ならこれは感謝すべきことです。しかし、その御使いの声を聞いた彼は、

「どうしてそんな事が、あり得ましょうか」と疑い、その御使いの言葉に同意しませんでした。

では、マリヤさんはどうだったかというと、実はマリヤさんも初めはザカリヤさんと同じことを

言いました。(134)しかしその後に、

「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(138)と、

彼女は言うことが出来たのです。


(転) では、ザカリヤさんとマリヤさんの違いはどこにあるのでしょうか。

それは、
悔いし砕かれた心を持っているか、持っていないかです。ザカリヤさんの中には、

「主の戒めと定めを守り、みな落ち度なく行っている」という自分自身の義がありました。

ですから、御使いに語られた時、「そんな事があり得るのか?」と
自分の義を立てたのです。

しかし、たとえ疑いの心が出てきても、その思いを砕いて、
「分かりました。お言葉どおり成り

ますように」
と言うことが出来たはずです。なぜなら、そのことは、長い間祈って求めてきた

ことでしたから。しかし、逆にマリヤさんが疑ったとしても、それは、しかたありません。

それは、祈っていたことでもなく突然の御告げでしたから。

しかし、マリヤさんは、「お言葉通り、この身に成りますように」と答えました。普通なら、

「まだ結婚もしていないのに、そんなことが起こったら、皆から後ろ指刺されるし、どう思われるか

分からない。自分はもうこの村では生きていけなくなってしまう」という思いが頭の中を

走りませんか?そうなると、「それは、困ります」と言ってしまうと思います。

彼女は、そのような思いを砕くことの出来る人だったのです。たとえ自分の身にリスクが降り

かかることがあっても、御使いの言葉を受け入れ、「皆からどんなに蔑まれても、馬鹿にされても、

後ろ指刺されても良いんです。私は、はしためですから」と言えたのです。

全世界の女性は皆、はしためです。また、男性は皆、しもべです。これは絶対主の前に当然のこと

であり、従うというのはこういうことなのです。私たちは、イエス様のためなら、そこまで泥を

かぶることが出来なければ、イエス様に従っていくことは出来ません
わざわざ悪いことをして、

「あの人は悪い人間だ」と言われる必要はありませんが、主の言葉を聞いて受け入れ、信じているが

故に、そのように言われることは、天の御国が約束されているのですから、地上のことはどうでも

良いはずです。
クリスチャンは、自分の立場より、イエス様の益になるなら、この身は蔑まれても

良いはずです。これが綺麗事の信仰を通すことです。
私たちは、信仰の故にその強さを持つべき

です。

 しかし、必ずしも自分たちがその強さを持っているわけではありません。艱難時代に入ったら、

もちろんビビるでしょう。ビビったら、イエス様に叫んで下さい。イエス様は、世の終わりまで

共にいて下さると約束して下さったのですから、そのイエス様に助けを求めて下さい。

イエス様は、弱い者を憐れんで救うために地上に来て下さったお方ですから、私たちをお見捨てに

なることは絶対にありません。必ずイエス様は、正しく導いて下さいます。たとえ人から後ろ指

刺されることがあっても、イエス様はちゃんと分かっていて下さるのですから、それで良いのでは

ないでしょうか。私たちは、イエス様に対して生きている、その強さを持っていくべきなのです。

(結) このことを、頭ではなく心でして行くことです。どこまでも綺麗事を通していくのです。

これを失ったら、この地上で生きていく意味がありません。私たちが今この地上で生きている

意味は、御国に入るための備えをするためであり、その備えとは、「悔いし砕かれた心」を

自分のものとしていくことです。これだけが永遠に通用するものなのですから。

私たちは、これからこのことを全世界の人々に伝えていかなければなりません。

ですから、もう自分の義にこだわっている余裕はありません。
自分の我を砕いてイエス様に従って

いく、その心の備えをしていこう
ではありませんか。 



                                      

  
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