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2013年1月6日



 『主を信じ仰ぐ心、すなわち献身』


ルカ3650



(起) パリサイ人の家に招かれたイエス様と罪深い女の香油塗りを通して、主を信じ仰ぐ

心がどういうものかを学んでいきたい
と思います。

(承)さて、去年の暮れあたりから、伝道者の召命を受けたという証しがされ、祈りがされ

ました。そこで9名が新たに伝道者として献身し、現在14人が伝道者として召されています。

こんな事は今まで教会で起こった試しがなく、すごい事です。これは、長い間の学びの中から、

一人一人が取り扱われ、聖霊様の促しに従った結果だと思います。しかし、召しに預かった

といっても、その通りにできるわけではありません。なぜなら、召されていることと、召しを

全うすることは、別です。「召しと選びは変わりません。」しかし、私たちは、鋤に手をつけて

から、後ろを振り向くこともあるのです。召しに従うことに恐れが起ってくるからです。

恐れと不安が頭に浮かんでくると、そうしたいと思いながらも、「できない。」という思いの方が

先に立ち、後ろを振り向く事もあります。召される事と、その道を全うする事とは違うからです。

私の神学校の同時期の人の中にも、5人以上の人が離れており、未信者になっている人もいます。

頭を使っていく方向に向けば、人間は怯え、臆病になります。また、自分中心に物事を考え、

自分のためだけに心を使います。教会ではその不信仰の姿勢を叱ります。それは、自分に心を

向けず、主に心を向けなければ信仰は出てこないということを教えるためです。


(転)ではイエス様は何と言っておられるのか、御言葉から考えていきましょう。

イエス様は、パリサイ人に招かれて食事に行きましたが、そこに罪深い女がやって来ました。

パリサイ人は、「もしこの人が預言者であるなら、自分に香油を塗っている女が誰で、どんな女か

分かるはずだ。彼女は罪深い女なのだから。」(39節)と言いました。パリサイ人は、罪深い女

を家に入れたくなかったのです。そこでイエス様はパリサイ人に向かって言われました。

「あなたは、わたしに足を洗う水さえくれなかった。しかし、この女はわたしの足を、涙で洗って

くれたのだ」と。普通こういう言い方は、他人には言いません。しかし、イエス様は本人にズバリ

言っています。それは、いかに心がないかを本人に分からせるためです。心を使うことが分から

なければ、信仰は出て来ません。多くの人は、自分自身を守るために心を使います。パリサイ人

シモンの心の使い方は間違っていました。また、女はイエス様の足に口づけをして止めません

でしたが、パリサイ人は口づけもしませんでした。彼は、「そこまでするんですか?そこまでしない

と従えないんですか?」という思いがあったのです。パリサイ人は、「自分はこの女のような罪人

ではない。」と思っていたでしょう。では、この女とパリサイ人、どっちの方が罪深いので

しょうか。それは、両方同じです。同じ罪人であるなら、パリサイ人も、女と同じようにするべき

でした。イエス様は同じように求めておられたのです。そしてイエス様は、パリサイ人にではなく、

女に対して言われました。「あなたの信じ仰ぐ心が、あなたを救ったのです。安心して行きな

さい。」と。「あなたは自分の罪深さを知って、涙を流した。それをわたしはさげすまない。」と

言っておられるのです。この罪深い女とは、誰でしょうか。それは、8章に出てくるマグダラの

マリヤでしょう。彼女はイエス様の十字架の足元にまで一緒にいました。それは、
「人の心を受け

入れて下さる方は、この方しかいない。
と思ったからです。パリサイ人たちの蔑む目から、

イエス様だけが守ってくれました。
イエス様は、このマグダラのマリヤのように、イエス様に心を

向け、砕かれた悔いし心を持った者を退けられません。
しかしイエス様に心を向けず、自分の損得

ばかりに心を向けて行動する人は、シモンのように自分を義とする者を、主は戒められるのです。

(結) ですから、
主を信じ仰ぐ心とは、献身です私たちは、いつもイエス様に対して心を

使っていくべきです。自分のためでも、人のためでも、いつも主にあって心を遣っていくのです。

そして、
イエス様にあって、どうするかを考えて行動するのです。14人もの人が、伝道者として

やっていく決心しました。それは、イエス様の方に心を向けた時、「イエス様しかいない。」と

思ったからでしょう。もう自分の損得のために生きて行くのではありません。全ての人がいつも

イエス様の方に心を向け、献身的に生きて行く事を、主は願っておられます。それは、フルタイム

で働くことでなくても、
イエス様に心を向けていくことは、創造主によって創られた命であれば、

当然です。
イエス様が求めているのは、その心なのです。私たちの教会は、主の前に召されたもの

として、これから全世界に出て行く教会です。ですから、いつも主を信じ仰ぐ心を持って、

この終わりの時代に証しして行きましょう。この年は絶対に聖霊の満たしを受けて、新しい道に

進んで行きます。
  


                                      

  
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