キリスト教の汚点の中に、異端者の摘発のために、人々を恐怖のどん底に陥れた宗教裁判
というおぞましい過去があります。これは、正当な法手続も皆無であり、被告は、原告の
名前すら知らず、弁護士もつけてもらえず、秘密審理は常習化され、自白を導き出すための
拷問も多用されました。最高決定権はローマ教皇から宗教裁判官に与えられ、罪を認めない
人々には、火あぶりの刑が言い渡されました。これらの犠牲者の中には、真にキリスト教
信仰を訴えた人々が多くいたと考えられています。宗教裁判は、カトリック教会がその道を
大きく外れた証拠です。
これらの、信者が信者を迫害して死に至らせるということは、政治的利害も絡んで、
500年以上にもわたって、教皇によって命令され実行されました。そして、幾百万の人々が
殺された宗教裁判の恐ろしさは、全歴史上「最も野卑で獣的で、悪魔的な絵となっています。」
これは、主イエスの教えである「汝、人を殺すなかれ」の戒めから大きく逸脱しており、
キリスト教批評家が、偽善的・暴力行為と非難するならその通りであり、それは、イエスと
同じ立場に立って非難していることです。
このことは、批判する彼らこそ、イエスの教えに同感していることです。
ですから、十字軍の批判と同じように、イエスの教えとは切り離された行為であって、
イエス・キリストの教えと救いに、何ら反証をするものではないのです。 |