『地獄の代わりに、輪廻転生する方が良いのではないか?』
ヒンズー教では、地獄の代わりに輪廻転生によって別の世界で生まれ変わり、前生の因果を
断ち切って悟りへと近づく機会が与えられると説いています。
確かに、輪廻転生の方が、新しい人生のスタートを許し、来世で神を信じるチャンスが
与えられるとすれば、人間を地獄へ送らないで済みます。
ところが、輪廻転生の教義そのものに大きな矛盾があれば、輪廻転生を期待することは
できません。そもそも、輪廻転生とは、六道の世界を繰り返すと言われます。
@天界(ほとんど、苦しみのない世界)
A人間界(人間の住む苦しみもある世界。仏にもなり得る)
B阿修羅界(血なまぐさい争いと苦しみの世界)
C畜生界(牛・馬・亀・鳥の本能で生きる世界)
D飢餓界(やせ細って飢えと渇きで苦しむ世界)
E地獄界(罪を償わせる世界) 〈六道輪廻〉
輪廻転生の教義にある第一の矛盾は、理性のない畜生となった者が、どうやって悔い改めて
天界に入れるのでしょうか。亀や豚がどんな善行をしたというのでしょう。
善悪を知るのは、人間だけです。
第二の矛盾は、輪廻転生では、人口増加を説明できません。同じ人間が繰り返している
だけです。
第三の矛盾は、人間は、人間であることが基幹的なことです。もし人間が犬やアメーバーに
なるというのなら、人間は基幹的でないことになり、人間本来の姿を失うことになります。
第四の矛盾は、輪廻転生には、地獄もあります。地獄界や阿修羅界や飢餓界や畜生界に
一度でも行った者は、二度とそこへ行きたいとは思わないでしょう。
しかし、また舞い戻るとするなら、悲惨な時を過ごしても、悟り得ないことになり、
何のために転生するのか分かりません。
また、悲惨な世界に入って悔い改めても、本物の謝罪ではありません。
謝らなければ、殴られると分っていて「ごめんなさい。」と言わない人がいるでしょうか?
それは、審判から逃れるための狡猾な振舞いに過ぎません。
六道輪廻は、ただ繰り返すだけです。そこに究極の救いはありません。究極の救いは、
創造主の御子が、罪の代価を全て払って下さったことによってのみ得られるものです。
なぜなら、人間には、罪の代価を払う力はないからです。 |
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