ショートメッセージ
  
  
教 会 案 内 牧 師 紹 介 定 期 集 会 特 別 集 会
定 期 メ ッセージ  シ ョ ー ト メッセージ 福 音 の 話
行   事 教 会 新 聞 掲 示 板 リ ン ク 事 務 室
2012年 NO.439




苦悩からの解放』


 
 この世に苦悩が存在するのは、創造主の不在を意味するのか?

「もし悪人だけが癌にかかり、詐欺師だけが痴呆症にかかるのなら、神の正義も

まんざら捨てたものでもない。しかし、愛らしい子供が脳腫瘍になり、一生懸命

頑張っている学生が、薬物症状の男にひき逃げされたら、天を仰いで『なぜだ、なぜ

こうなんだ』と叫びたくなります。」また、「愛の神が、台風や地震、津波で罪のない

人の命を奪うなんて許せない」と叫びたくなる。しかし、こんな情況の中で、神が椅子

にふんぞり返って「結局のところ、君たちの不始末だからね」と言われたら、たまった

もんじゃない。だが、神がこう言ってそっぽを向いたとしても、私たちには文句1つも、

通用しない。

 ところが、創造主はこうした正論を越えて、信じられないことに、すべての苦悩を

自分が引っかぶって、私たちの痛みのために苦しみ、苦悩の真只中で自分自身の命を

投げ出して下さったとしたら、これ以上、何を望むことがあるだろうか?そもそも、

悪を現実化したのは、我々人間です。なぜなら、人間には、全てのことを自分で

選択して自分で決断する自由意志があるからです。
もし、自由意志がなければ、

悪と苦しみのない世界が実現したかもしれません。しかし、全ての人間がロボット化

され、画一化されて、ただの「石」の世界が存在した事でしょう。しかし、人間には

善を行う自由も、悪を行う自由も、創造主を愛する自由も、あるいは創造主に背く

自由もある。ですから、その自由によって悪を選び取り、悲劇が人間社会に入り込んだ

責めは、私たち人間にあるのです。

 しかし、創造主は、人間が選び取った苦悩と痛みの世界に入り込み、イエスが

十字架上で、人の全ての苦悩の身代りとなり、その罪の呪いから人間を贖われたのなら、

これこそが究極の創造主の返答となる。苦悩があるから創造主は存在しないと言う

人々は、安全パットに包まれて、自分の選択の責めを他人事にして、ぬくぬくと創造主を

否定しているのです。しかし、一方で本当に苦しんでいる人こそ、その苦しみの中から、

創造主の愛の涙に目を向けるのです。実は、人間の苦悩の中にこそ、創造主の光を見る

のです。その悲劇のどん底に、イエスの引き裂かれた愛の身代りを見るからです。

我々の苦悩の代価は支払われました。それなら、それ以上何が必要でしょうか。

私たちの苦悩の対処法は、もう苦悩は苦悩として受けていけばいいだけです。

我々の苦悩の責めは、完全に払われてしまったからです。


実に苦悩の中に創造主は存在するのです。








 
 *メニュー
      * 教 会 案 内
      * 牧 師 紹 介
      * 定 期 集 会
      * 特 別 集 会
      * 定期メッセージ
      * ショートメッセージ
      * 福 音 の 話
      * 行       事
      * 教 会 新 聞
      * 掲  示  板
      * リ  ン  ク
      * 事  務  室