『イエス様のために泥をかぶる』
マルコ8章27〜38節
@ 『あなたこそ、キリストです』と、信仰告白をしたペテロに対して、イエス様が、
「このことを誰にも言わないように厳しく命じられた。」というのは何故なのかを考えたいと
思います。また、そんなペテロにイエス様が、「サタンよ。引き下がれ。」と言われたことに
ついても学びたいと思います。
A さて、ピリポ・カイザリヤで、イエス様は弟子たちに尋ねて言われました。「あなた方は、
わたしを誰だと言いますか。」すると、すかさずペテロが答えて言います。「あなたこそキリスト
です」。イエス様は、ご自身が救い主として来られた事を彼らに伝えたかったはずですから、
その事をみなに伝えるように言われるだろうと誰もが考えたでしょう。ところが、「自分のことを
誰にも言わないように」と、厳しく命じられたのです。いったいイエス様は何を考えておられたの
でしょうか。
B では、その理由について探ってみましょう。イエス様がご自分の事を誰にも言うなと言われた
のは、この時だけではありません。高い山の上で御姿が変わり、モーセやエリヤと話している様子を
見たペテロ、ヤコブ、ヨハネに対しても、誰にも話すなと口止めされています。福音書の随所で、
「時が来るまで黙っているように。」と言われています。それは、復活の時までのことです。
即ち、復活によって人の子が創造主の子であることが明らかになるまで、母マリヤも、処女のときに
イエスを身ごもったなどとは、うかつに言えないことでした。ロマ書には、「イエス・キリストは
罪深い肉と同じような姿で、人の姿をとって来られた。」とあります。それは、罪を犯されることは
ありませんでしたが、人の子として、私たちの代表として同じ肉をもって、罪の身代わりになって
くださるためでした。ですから、イエスの人としての肉は、マリヤから受けた肉で、パウロもロマ書
「肉によれば、ダビデの子孫から生まれ」と記し、私たちとは別格な完全無欠な肉を取って来られた
のではありません。だから、ナザレの人々はマリヤとヨセフの子として子供の頃から見ており、
また大工の息子として見ていました。確かに非凡なものは当然ありました。ヨハネからバプテスマ
を受けた時に御霊の力に満たされていたからです。けれども、人々は普通の子と見ていました。
そして、マリヤとヨセフは、イエス様の誕生のいきさつを天使から聞いて知っていましたが、
口外しませんでした。イエス様が復活して創造主の子として明らかになってから、初めて、誕生の
次第や子供のときの創造主の子としての発言などを話したのでしょう。祭司長たちから殺される
原因は、ここにあったのですから、うかつに洩らしていたなら、本来の使命を全うできなかったから
です。だから、弟子たちはイエス様の復活の後で、初めて口止めされていた意味が分かってきた
のです。
さて、ペテロは、信仰告白した後で直ぐ失敗し、イエス様に、「サタンよ。引き下がれ。あなたは
創造主の方に心を向けないで、人の方に思いを向けている。」と言われてしまいました。
彼はイエス様のメシヤとしての働きについて全く分かっていなかったからです。ですから、サタンに
そそのかされて言ってしまったのです。イエス様は、サタンに心を向けて妨げられているペテロを
叱りました。サタンが誘惑したからサタンが悪いと責任逃れは出来ません。サタンは常に語りかけて
きますから、その声を聞いてしまいます。それでも心をサタンに向けるな、という事なのです。
私たちの戦いは血肉の戦いではなく、空中の権を取るサタンとの戦いです。この戦いをするには、
自分を徹底的に否定し、創造主の方に心を向けていく、強い意志が必要です。さらに、イエス様が
私たちの泥をかぶってさらし者となってくださったように、私たちも十字架を負って従って行く者
となるべきですが、それは、自分を守ることはやめ、イエス様のために泥をかぶる程に、自分を
徹底的に否定して、主に従う心が必要であるということです。
C この様にして、ペテロが、まさに十字架の死に到るまで自分を徹底的に否定して、主に従って
いったように、私たちも死に至るまで忠実な証しをしていきましょう。これが、この福音書が
書かれた目的なのですから。 |
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