『心で納得し、心に入れる!』
使徒行伝17章1〜12節
@ 私たちが、聞いた御言葉を「アッそうか!」と心で納得し、それを心に入れるなら、
私たちの生き方が変わっていくことについて学びたいと思います。
A さて、パウロとシラスは、テサロニケにやって来ると、いつものように会堂に入って、聖書に
基づいて論じ合いました。キリストは、預言の通り苦難を受け、死人の中から甦る事を解き明かし、
イエスこそがキリストであることを論証することでした。パウロは律法学者であり、旧約聖書を
学んできたので、聖書の中からはっきりと論証できたからです。そして、聞いた人々のうち、
「アッそうか!」と納得した人々は、パウロに従いました。しかし、聞き従わない人々はパウロ
に立ち向かい、暴動を起こして町を騒がせたのです。そのために、パウロはテサロニケから
ベレヤへと出掛けていきました。ところがベレヤの人々は素直な人々で、本当かどうかを
一生懸命に追求したのです。その結果、「そうだ!」と納得した多くの者たちが信じるように
なりました。納得したことを心に入れる作業をしていったからです。
B では、このことを私たちの教会に当てはめて考えてみましょう。
私はこれまで、四人の牧師たちから学んできました。その学びは皆さんに還元されてきました
から、それは又、皆さんの学びでもありました。私の学びの原点は、信じた時に心に入った二つの
思いです。一つは、「使徒行伝で起こったことは、今日も起こるんだ。信じた者として、自分も
このような働きをし、用いられていきたい。」という熱い思いです。そしてもう一つは、
「墨よりも黒い心であったのが、雪のように白く洗われたと賛美にもあるのに、自分の心は依然
として黒いままなのはどうしてなのか?」という思いでした。主は、一つ一つの問題に答える
ようにして、私を牧師たち一人ひとりに合わせてくださり、学ばせて下さいました。そして今、
天国入門許可証を頂いている私たちは、聖くされている者ですが(アオリスト形)、まだ肉を
持っています。しかし、天国に入る時には一瞬のうちに変えられ、その時こそ、雪のように
白く変えられるハッピーデイである事が心の中にド〜ンと入って喜びの確信となりました。
さらに、創造論の学びでは、始めは頭だけで、「それが何なの?」と無味乾燥な状態でした。
しかし、自分たちの肉体の仕組みのすごさを知った時、「この創造主に従うのは当然だ」という
思いが心にド〜ンと入って来ました。私たち被造物は、創造主に対して反感を持つ権利は持って
いません。ただ従うだけです。これが砕かれた心です。しかし、これに加えて、聖霊の力が必要
です。伝道における力は、聖霊の力だからです。聖霊が力強く働かれるとき、聖書に書いてある
ことが、今日も起こってくるのです。ここに至って、もう学びの時は終わり、これからは働きを
していくだけだと示されています。
ところが、まだ自分の肉の中に留まり、自分を守って心を開こうとしない方々がいるのはどうした
ことでしょうか。イエス様は、私たちの一番弱い所、自己卑下している所を全部背負って死んで
くださったのではありませんか?!だったら、この救いを受け取って、心の中に入れれば、自分
を守ることも、卑下する事も、悩む事も無いではありませんか?たとい叱られても、キリストの
救いを受け取っているのだから、心を開いて聞こうとするなら、叱っている人の心が分かって
きて、「アッそうか!」と方向を変えて行けるのです。
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C 頭の世界は聴くだけですが、納得して心に入れれば、生き方は必ず変わるのです。
私たちの残された時間は、「如何にキリストのために心を注いで生きてきたか」、それだけです。
イエス・キリストに在って生きていきたいと思うなら、心を開いて、心に結び付けてください。
そうすれば、「アッそうか」と分って、これしかないという気持ちで教会は一致していく
でしょう。
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